作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。今回は10人目のゲスト・隈研吾さんが建築家を目指した少年時代の話を聞きました。
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大宮:いつ建築家に、って思ったんですか。
隈:小学4年生のとき。東京オリンピックで丹下健三(たんげけんぞう)先生が設計した国立代々木競技場の第一体育館に憧れて。すげーな、カッコいいなって。
大宮:えー。小4で建築家になりたいって、ませてますよね。
隈:いや、あの時代はオリンピックが来て新幹線も首都高速道路もできたから憧れるやつ結構いたよ。丹下先生とか黒川紀章さんとかがブイブイした「勝つ建築」をつくってた。僕のアイドルだった。でも、そのあと公害問題とかにぶつかったり、アジアに無駄な建築がバンバンできたりとか、そういうのがダメで。もうああいう建築は作るべきじゃないなっていうふうに思ったけど、じゃあどういう建築を作るのかっていうのは中学生なんかには発想がないわけ。でも建築家にはなりたかった。
大宮:中学生のときの話ですか。
隈:うん。
大宮:すごい早熟。
隈:早熟なんです。それでデリケートなの(笑)。
大宮:中学生で失恋。レジェンドと思った人はもうアイドルじゃない。
隈:そう。そのあともね、大阪万博があって、高1のときに大阪へ行ったの。黒川さんの本を読むと面白いわけ。アジアのごちゃごちゃした街並みとかのことが書いてあって。これからは生物的ななめらかさが必要だとか書いてて。その言葉に期待して黒川さんが作ったパビリオンに行ったら、すごいメカメカしいお化けみたいなやつで、全然アジアの雑踏とか何もないじゃないって。黒川さんがアイドルだったのに失恋したんですよ。それで、もう何か全然分かんなくなっちゃうわけ。高度成長的なものに対する疑念がわいて、すごくひねくれていった。