大宮:一番の疑念はなんだったんですか。待てよ、って思ったのは。
隈:コンクリートで、グワーンって大きなものを建てるのが、何か恥ずかしいものに見えてきて。
大宮:でもみんないいと思って、突き進んでいた時代でしょ。そのときに立ち止まったわけですよね。これ、いいの?って。あったかさがないってことなんですよね。
隈:それはたぶんね……。そうだ、自分の住んでたうちが木造で戦前に建てられたんですよ。でも、そんなにこう、数寄屋造りなんてしゃれたもんじゃないんだよ。本当に戦前の、普通の、木造の平屋の家。土の壁なんで、ボロボロ崩れてくるわけ。だから、畳の上にいつも土の粉があるっていうぐらいの、ある種、ボロ屋に住んでたから。僕、おやじが45のときの子どもだからさ、もうそのころ定年迎えてて、うち全体がボロっぽかった(笑)。
大宮:全体って(笑)。
隈:それがあったから、たぶんそうひねくれたんだと思う。最初はさ、自分ちなんて嫌で嫌でしょうがないわけ。なんで俺のおやじ、こんな年取って、こんなに家ボロいの?って。小学生のときなんかね。それがね、だんだんね、こっちのほうがいいじゃんって思えたんですよ、そういう発見があってね。その当時流行(はや)ってたコンクリートのピカピカな感じが、何かね、成り金的で、恥ずかしい象徴に見えたんだよね。
大宮:面白いですね。自分の置かれた環境で憧れたものがやっぱり違って、結局自分の環境、家の原体験に戻ってくるわけですね。
隈:そうそう、まさに。だから自分の環境の再発見というか、俺の原点かもしれない。
※AERA 2023年2月6日号