昭和40年代、特に国鉄の有料の特急形車両は“高嶺の花”で、定期券での乗車が認められていなかった。しかし、赤字に苦しむ国鉄が柔軟な姿勢を打ち出したことで、徐々に特急形車両で通勤通学できる体制を整え、今や通勤特急が全盛の時代に入ったといえよう。
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■普及のきっかけは山陽新幹線全通
昭和40年代、定期券で有料の特急形車両に乗車できる態勢を整えたのは、近畿日本鉄道や小田急電鉄である。しかしながら、“有料の通勤特急”は、全国的に普及するきっかけにはならなかったようである。
普及のきっかけをつくったのは、当時、国民の誰もが知る公共企業体、「国鉄」こと日本国有鉄道だ。それも国鉄自身の“想定外”が発端だ。
1975年3月10日に山陽新幹線岡山~博多が延伸開業すると、当時、定期券で乗車できないことを承知の上で、普通乗車券+新幹線自由席特急券を購入し、小倉~博多を利用する通勤客が現れた。
当時の国鉄は東海道新幹線の莫大な建設費用が大きく影響し、赤字と運賃値上げが続いていた。“新幹線は短距離でも稼げる”ことに注目したのか、1978年12月15日から、みどりの窓口で定期券を呈示した場合に限り、新幹線自由席特急券の発売に乗り出す。
その後、利用区間の拡大、新幹線自由席特急回数券の発売を経て、1983年1月31日、新幹線通勤定期券FREXの発売を開始。1986年4月1日から通学用のFREXパルも発売され、通勤通学エリアの遠距離化につながった。
■在来線特急も定期券乗車可が徐々に浸透
一方、在来線は1985年3月14日のダイヤ改正で、上野発着のエル特急「新特急なすの」「新特急谷川」「新特急あかぎ」「新特急草津」を皮切りに、定期券と自由席特急券の組み合わせ乗車を認めた。
「新特急」というのは、自由席主体、50キロ以内の自由席特急料金は急行料金と同額、停車駅が急行なみ、特急形電車なのに普通車は転換クロスシートの185系を充当というもので、東北・上越新幹線を補完する役割が与えられていた。ようは“格調がない特急”なのだ。のちにJR・私鉄問わず、特急の停車駅が増加するようになる。