冷川とミカドの快感は、除霊をひとりで行った際には生じず、冷川からミカドへの一方的な挿入によって起こり、さらに冷川・ミカドが相互に「魂の本質」を共有することで、より強いものへとなる。映画では、漫画よりも快感の表現は和らげられているが、除霊の際のトランス状態と肉体的な負担の表現をミカド役の志尊淳が、そして性的倒錯の要素は、冷川役の岡田将生が巧みに表現している。
■冷川理人を夢中にさせる三角康介の「性質」とは?
物語では、冷川以外の「強い霊能力者」たちが、ミカドに侵入したがること、ミカドがそれを「入れてしまう」素直な性質であることに、次第に冷川は独占欲を強く示すようになっていく。人間らしい感情の描写が排除されている冷川理人というキャラクターに「執着」と「恍惚」を与える人物、それが三角康介の性質なのである。
ミカドが「強い霊能力者」を体の中に次々と受け入れるのは、彼の性格に由来する。ミカドは、霊能力者だけでなく、死霊、事件の被害者の人間、加害者、犯罪者を、まずは受け入れ理解しようとすることからはじめる。
自分を乱暴に扱い、勝手に身体に侵入し、快楽と痛みを与える冷川に対しても、「わかっても わかんなくても 知りたいと思っちゃダメなのかよ もしか あんたにとってどうでもよくても おれはあんたのことが知りたい…」(3巻18話)と言い、冷川の人格の破綻に関係する恐ろしい過去をも、共有しようとする。
実は、漫画原作と映画では、このミカドの感情の変化の過程とスピードの描かれ方が異なる。原作では、死霊への恐怖心がまさっているミカドは、「他人を助けたい」「他人を助けることは そのまま ずっと助けて欲しかった自分を助けることで」と、徐々に自らの思いを自覚していく。映画の短い時間で、この「ミカドの変化」がどのように描かれているのか注目してほしい。ミカド役の志尊淳の演技力が、この描写にリアリティーを与えている。