なんと、わたしは二十八番だった。合格者のうち三人が入学を辞退したらわたしの番が来るのに、と五分ほど呪文を唱えたりしたが、そんな僥倖(ぎょうこう)はあるはずもなく、晴れて浪人になった。
二十八番という成績を知ったのがいいのか悪いのか、わたしには京都美大デザイン科が現実味を帯びてきた。もうちょっとだけがんばったら行けるんやないかと考えたのが大間違いで、ほかの美大(金沢美術工芸大や愛知県立芸大)を併願する気が失せてしまった。
わたしは毎日、朝はパチンコ、昼からは麻雀、週末はキタかミナミを徘徊(はいかい)、と楽しい浪人生活を送り、その合間に学科試験のための勉強とデッサンと色彩構成をした。
で、一浪後の受験は鉛筆デッサンが『マネキン』、色彩構成が『港』、立体造形が『ケント紙一枚で作る立体』で、みごと惨敗。二十八番どころか五十番にもならなかった。
わたしは二浪を許されず、父親が船主船長をしている内航タンカーに乗せられて、昼も夜もなく働いた。あまりに辛いので、この苦界(くがい)から逃れるには大学に行くしかないと思い至り、もう一度だけ京都美大を受けさせてくれと父親に懇願し、次に落ちたら海技免状をとるという約束で、翌年の一月、船を降りた──。※次回につづく。
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2021年3月26日号