性犯罪の被害者が、相談しても心ない言葉で傷つくことも少なくない。背景には被害者への偏見がある。その根底には何があるのか。「フラワーデモ」を呼びかけた作家・北原みのりさんに聞いた。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。
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2019年春、性暴力の根絶を目指し、「フラワーデモ」を呼びかけました。話したい人だけがマイクを握り、自身の体験や社会への疑問などを訴える、歩かないデモです。現在は47都道府県に広がっています。
まず驚いたのは、マイクを握る人が多かったことです。中には、何十年も前の被害について語る方もいます。被害の事実から逃れられず、ずっと考え続けてきた時間の重さを感じます。相談しても「自意識過剰だ」「あなたの勘違い」などと言われたり、性被害がなかったことにされたりしてきた。安心して話せる場が求められていたことがよくわかりました。
性被害からの回復は非常に難しい問題です。私はジャーナリストの伊藤詩織さんと一緒に韓国に行き、元慰安婦の90代の女性に会ったことがあります。伊藤さんは、こう尋ねました。
「被害を思い出し、今でも泣いてしまう。私はいつまで泣かなければいけないのでしょうか」
「一生。死ぬまでよ」
その答えに、伊藤さんは号泣されていました。悔しく、忘れることなんてできない。でも、自分を信じてくれる人が増えることで取り返せる尊厳はあると思います。フラワーデモという自分が否定されない場で語ることは、被害回復のひとつの力になると感じています。
■被害語る強さに敬意
いまの社会には、性被害者への偏見が蔓延(まんえん)しています。例えば「性犯罪は魂の殺人」という言葉。死んでなくて、生きているからつらいのに、どうしてそんな表現になるのでしょう。「汚れた女だ」と自ら言う被害者もいます。つまり、自分の中にある偏見の罠に落ちてしまう。あわれまれることが嫌で「被害者ではなく、サバイバーと呼んでほしい」と言う人もいます。