なぜ前もって予防することが出来ないのだろう。事故や事件が起きてからでは手遅れだということは言うまでもない。その意味で今回の「エスカレーターで歩かないで」という要望は意味がある。
自分は元気でも、弱い人、体の不自由な人への思いやりを社会の場で持てるようになって初めて成熟した社会ということなのではないか。
ついでに、私が愛するこの上なくのどかなエスカレーターを御紹介しておこう。
地下鉄神保町駅の近くの学士会館にある、短いエスカレーターだ。
学士会館は、帝大卒業生のために作られた学士様用の会館だが、お年寄りの利用が多いためか、入口の階段横にエスカレーターがある。これが日本一のんびりしたエスカレーターで、最初のうちは、私も歩いて登ったりしたが、今は必ず止まってその時間を楽しむ。なんだか心が豊かに古きよき時代にもどるのだ。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
※週刊朝日 2021年10月15日号