人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、エスカレーターの速度について。
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私の子供時代は、動く歩道であるエスカレーターは夢の一種であった。
それから何十年? 当たり前の風景になる。エスカレーター上で歩くことも普通になった。東京近郊では、歩かない人は左側に立ち、歩く人のために右側をあける。関西では逆に右側に立って左側を歩く人用にあけておく。同じ国なのにややこしい。
それらが重なって事故の原因となることが多かった。特に障害のある人にとっては、右に手すり左に手すりという違いがあるために、エスカレーターを使うことが困難な場合もある。
そこで事故防止のために利用者にエスカレーター上で歩かないよう努力義務を課す全国初の条例が、埼玉で十月から施行された。
大切なことだ。罰則はないが、条例化されることによって、歩かないで、止まってとお願い出来ることになる。
世の中が便利になり、急いでいる人が早く行動出来るのはいいことだが、そのために弱者が不便になったり、切りすてられることがあってはならない。
エスカレーターで私がいつも気になるのが、徐々に速度が増していることだ。それは東京でも感じるが、とくに横浜駅のめまぐるしさは体の弱い人や高齢者にはつらい。
私はまだ自由に体が動くからいいけれど、あの速さに上手にリズムを合わせて飛び乗ることに勇気を必要とする人は多かろう。私自身、横浜駅に行く時は身がまえている。まして荷物が多かったり、キャリーバッグの客が前後にいたりすると要注意だ。手すりにつかまることもままならぬ時はハラハラする。
つくづく日本の交通機関は元気な人を中心に作られていると思ってしまう。改善されるのは、何か事故が起きてからである。日本の警察も何か事件が起きないとなかなか対処してくれない。
先日、幼児が熱湯を浴びせられて死亡する痛ましい事件があったが、知人らが市に通報したにもかかわらず、市は警察に知らせることもなく幼い命が奪われてしまった。