韓国人投手3人の併用をめぐり、外国人枠の問題がクローズアップされたのが、01年の巨人だ。

 趙成珉(巨人)、宣銅烈(中日)ら韓国人投手の日本球界進出が相次ぐなか、00年に8年連続二桁勝利を記録した鄭珉哲も巨人入り。さらに翌01年には、重い速球を武器に2年連続最多勝をマークした鄭珉台も海外FA権を行使して、3人目の韓国人投手として巨人に入団した。

 彼ら3人だけで1軍の外国人投手枠2人(当時)を超えるばかりでなく、同年の巨人にはメイとアルモンテも在籍。左の先発・メイは外せないため、実質4分の1の狭き門だった。

 当時筆者はたまたまソウルで街の声を取材する機会があったが、鄭珉台の日本での活躍を期待する声とともに、「なぜ巨人に3人もいるのか」と疑問を呈し、「2軍に置くくらいなら、他球団にトレードしてほしい」という意見も多かった。

 そんななか、「日本の生活や文化に早く慣れるため」に外国人では異例の1月前半に来日した鄭珉台は「1軍に上がれれば10勝できるだろう」と自信をのぞかせた。

 だが、3月末のオープン戦で一塁ベースカバーに入った際に左アキレス腱を損傷。治療とリハビリを経て、8月12日のヤクルト戦で来日初先発初登板をはたしたが、真中満に被弾するなど3回3失点で降板。その後、9月にリリーフで2勝したが、10試合で2勝0敗、防御率6.16と不本意な成績に終わった。

 鄭珉哲もわずか8試合、趙成珉は1軍登板なしと3人揃って出番に恵まれず、鄭珉哲は同年限りで退団した。

 翌02年も、鄭珉台はリリーフで0勝1敗、防御率6.41と振るわず、趙成珉ともども失意のうちに退団。外国人枠の問題に加え、日本球界きっての巨大戦力の中で埋もれた感もあった。

 以来、巨人に入団する韓国人投手はなく、林昌勇(ヤクルト)、呉昇桓(阪神)らの“他球団組”が成功を収めている。

 1軍で大活躍した直後、2度にわたって2軍落ちの悲哀をなめたのが、14年に広島入りしたロサリオだ。

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