「七彩」の修行時代からのこだわりもあり、麺は自家製麺と決めていたが、河野さんには製麺機を買う資金がなかった。そこで挑戦したのが手打ち麺だ。そば打ちの教室に通い、手打ちの勉強をし、苦労してオリジナルの麺を完成させた。
「名店『七彩』の出身ということもあり、開店してすぐたくさんのお客様に来ていただきました。オープンして1年ぐらいは緊張でほとんど記憶がありません。自分の店となると全て自分の責任でやらなくてはならない。フォローしてくれる人もいない。重圧に毎日押しつぶされそうでしたね」(河野さん)
中村橋で8年間営業し、その後は東京都板橋区の赤塚に移転する。プライベートでは結婚もし、妻とともに以前より広い店に移転することにした。その頃には製麺機も買うことができ、自家製麺にさらに磨きをかけた。
「前の倍ぐらいの広さで、家賃も上がりましたし不安でしたが、地元で店をやれることの喜びを感じています。いろんな食材を試して醤油ラーメンをバージョンアップさせました。メインは麺に置き、それに負けないスープを開発しました」(河野さん)
開店から12年。円熟味さえ感じるその一杯は、今や地域になくてはならないものになっている。
「金町製麺」の長尾店主は、先輩である河野さんの真っすぐさに引かれている。
「修行時代に苦楽を共にした先輩で、『七彩』の一番弟子として七彩イズムを継承しています。『七彩』のブレーク直前から働いていたこともあり、初期の『七彩』を感じる一杯です。すごく真面目にラーメンに向き合う姿が印象的です」(長尾さん)
河野さんは長尾さんのセンスの良さに一目置いている。
「『七彩』の中でもとにかくできるやつで、料理の素養もあり、私も包丁の使い方を教えてもらいました。卒業する時には包丁をもらいましたね。自分の知識とラーメンへの情熱が見える彼らしいお店をやっていると思います。手打ち麺など『七彩』のノウハウを器用に生かし、彼なら大丈夫だ、任せてみようと思わせてくれる職人ですね」(河野さん)
同じ名店「七彩」から生まれた2人の職人。それぞれのエリアで自分の強みを生かしながら、地元のお客さんの舌をうならせている。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho