麺や 河野/東京都板橋区赤塚新町2-2-13/12:00~15:00、18:00~21:00、月曜のみ12:00~15:00、火曜定休。詳細はお店のTwitter(@menya_kouno)にて/筆者撮影
麺や 河野/東京都板橋区赤塚新町2-2-13/12:00~15:00、18:00~21:00、月曜のみ12:00~15:00、火曜定休。詳細はお店のTwitter(@menya_kouno)にて/筆者撮影

■「緊張でほとんど記憶がありません」元劇団員のラーメン店主が作る「醤油ら~めん」

 東京メトロ・地下鉄赤塚駅から徒歩3分、東武東上線・下赤塚駅南口から徒歩5分。川越街道沿いに「麺や 河野」はある。10年に練馬区の中村橋で創業し、18年に現在の場所に移転。看板メニューの「醤油ら~めん」は煮干しや魚介のうまみあふれる逸品で、ゆでる前に一玉ずつ丁寧に手もみした自家製麺が最高にうまい。

 店主の河野三英(みつひで)さんは千葉県生まれで、東京都練馬区光が丘で育つ。若い頃は劇団に所属しており、役者を目指していた。この頃は、板橋駅近くにあった「自家製麺 CONCEPT」が大好きで、週に5日間通うファンだった。そのうち他の店も回り始めるようになり、ラーメンの食べ歩きが始まった。

「麺や 河野」店主の河野三英さん。若い頃は役者を目指していた(筆者撮影)
「麺や 河野」店主の河野三英さん。若い頃は役者を目指していた(筆者撮影)

 24歳の頃、所属していた劇団が解散になってしまった。この劇団に入れ込んでいて、完全に燃え尽きてしまった河野さんは、好きだったラーメンに目を向けてみることにした。インターネットで検索をし、毎日のように食べ歩きをした。

 そこで出会ったお店が西武新宿線・都立家政駅近くにある「麺や 七彩」(現・食堂七彩)。ここで食べた喜多方ラーメンに衝撃を受ける。スープ、麺、具材のすべてに驚き、ここで働きたいと直感的に思った。店の前に貼ってあった求人の貼り紙を見つけ、早速応募。河野さんは「七彩」で働くことになった。09年、30歳の頃だった。

 入ってすぐに製麺を教えてもらい、先輩と2人で店に立つことになる。テレビでの紹介もあり、毎日すごい行列ができて、店はてんてこ舞い状態に。新人だったので仕込みがメインだったが、超人気店での経験は貴いものだったという。

手打ちの勉強をして、オリジナル麺を完成させた(筆者撮影)
手打ちの勉強をして、オリジナル麺を完成させた(筆者撮影)

「朝2時に出勤し、製麺からスープまで一人で仕込みをやっていました。『七彩』は食材への理解がとにかく深い店です。『この食材はこう調理することで、こうなる』ということを全てわかっていて、ベストな使い方をする。毎日怒られてばかりでしたが、とてもいい経験になりました」(河野さん)

 10年に卒業し、独立。自宅から「七彩」まで自転車で通った道すがらにある西武池袋線・中村橋駅近くに「麺や 河野」がオープンした。こぢんまりとした物件だったが、店中に目が行き届く理想のサイズだった。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?
次のページ
重圧に毎日押しつぶされそうに…