「被災した遺族の方たちは、心理カウンセリングを受けることを拒否することが多かった。自分が楽になれても、そのことによって愛すべき人を忘れてしまうことになるのではないか。死者を置き去りにして自分だけ救われることは罪深いことだと感じておられるのです。やはり災害は死者を抜きにして語ることはできないと、被災した当事者の方たちに教えられたことがきっかけでした」
着眼したのは、地元の話題に精通したタクシー運転手たちだった。証言は次のようなものだ。
震災から3カ月ほど経ったある日の深夜、初夏にもかかわらず真冬のコートを着た30代くらいの女性が、石巻駅周辺で乗車してきた。目的地を尋ねると「南浜まで」と返答。「あそこはもうほとんど更地ですけど、構いませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震えた声で答えた。驚いて後部座席を見ると、そこには誰も座っていなかった。
13年8月の深夜、コートに帽子、マフラーをした小学生くらいの女の子が手を挙げて乗車。運転手は不審に思い「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると、「ひとりぼっちなの」と答えた。迷子なのだと思い、家まで送ってあげることにした。女の子が答えた家の付近まで乗せていくと、「おじちゃん、ありがとう」と言って降りた途端に姿を消した。
14年6月、正午ごろ冬のダッフルコートに身を包んだ青年が乗車してきた。目的地を尋ねると「彼女は元気だろうか」と答えた。気づくと青年の姿はなく、座っていたところには、リボンのついた小さな箱が置かれていた。
特筆すべきは、運転手たちがこれらをはっきりと「幽霊現象だった」と認識しており、「同じようなことがあっても、また乗せる」と、自らの経験を振り返っていることだ。金菱さんが語る。
「幽霊を乗せた時点でメーターを実車に切り替えて、途中でいなくなるわけですから、無賃乗車扱いになって自ら払っています。運転手さんは霊体験を家族にも同僚にも話していなくて、学生の調査によって初めて明らかになるというのが特徴的です。人に話して否定されたくないという霊に対する畏敬の念が伝わります。仏教の研究者ならば、幽霊は不成仏として扱って早く彼岸へ送り込むことがテーマになってしまうでしょうし、実際にそういう論文もあります。ですから、運転手さんたちの、また乗せてもいい、ここにいて漂っていてもいいんだよ、との思いが人の心を打ちます」
こうした証言が集められたのは、学生たちが調査を担当したことも影響したという。