紀宮(当時)は、皇太子同妃両殿下(同)の、徳仁親王殿下(同)、文仁親王殿下(同)に続く3人目のお子さまとして、1969年に誕生された。
その年は、アメリカの宇宙船「アポロ11号」が人類で初めて月面に着陸し、日本は学生運動に揺れ、高度経済成長の最盛期を迎えるという激動の時代だった。
当時の皇太子は紀宮の教育方針について「何よりも本人の意思が大切でしょうが、将来は結婚して身分を離れるのだから、例えば社会福祉に役立つような皇族としての教育と、一般市民になった時のための教育とを調和を取りながら進めたい」と述べられている。
「いずれは皇室を離れる身」という将来を見据えたものだった。時代の考え方と母親の美智子さまが社会に出ずに皇室入りしたことが背景に窺(うかが)えた。
一方の愛子さまが生まれた2001年は、米同時多発テロなどの影響もあり景気は後退、暗い話題が多い中での愛子さまご誕生の報は、国民から大きな祝福を持って迎えられた。
皇太子(同)はご誕生の会見で、
「子どもには陛下をお助けして、そして、国や社会のために尽くす気持ちを養って欲しいというふうに思います」
と希望を述べられた。
美智子さまと雅子さまはともに、お子さまに合った良い環境を求めて幼稚園選びをされた。
結果、紀宮は3歳で民間の「柿ノ木坂幼稚園」に1年間通園した後に学習院幼稚園へ。愛子さまは、両殿下が民間の幼稚園のパンフレットを多く取り寄せ検討の末に学習院幼稚園に決まった。
プライベートでは、ともにご家族で水族館や動物園などに出掛けられた。
注目すべきは、紀宮が学習院初等科2年生の時から美智子さまと二人で旅行をなさるようになったことだった。
◆清子さんの自立促す教育
皇室を離れる日まで見聞を広めるためにも多くの体験と思い出を、という親心だったのだろう。
お二人は、毎年のように箱根、愛知県の熱田神宮、和歌山の白浜などを訪れて、紀宮が12歳の時には京都の修学院離宮、大宮御所を回られた。紀宮が時代劇ファンだったことから東映の太秦映画村へも足を運ばれて、江戸の古き町並みのセットに、感激なさったといわれた。