地方での対話については、原さんの著書『平成の終焉──退位と天皇・皇后』に詳しい。地方紙を丹念に読み込み、2人が地方で開いた「懇談会」についても詳述している。公務に合わせ、自分たちより若い世代を中心に、農民、漁民、学生などと1~2時間、意見を聞いたり質問をしたり、そんな会だったという。
63年9月、山口県での国民体育大会夏季大会開会式への出席は流産での静養後、初の公務。そこでも懇談会は開かれた。それを伝える「防長新聞」(9月18日)が紹介されている。
美智子さまが「農村に女性をおヨメにやりたくないとか、行きたくないという話をききますが、どういうわけでそうなるのか調査したものがありますか」と質問したところ、23歳の男性が「(これからの農村青年は)ヨメに合わせて経営改善をしていくべきだ」と答え、24歳の男性が「女を養ってやるという考えがそもそもおかしいのであって、ヨメといっしょに働くのだという考えをもたねばウソだ」と答えたという。
◆国民と接して感じる手応え
美智子さまは、23歳男性の意見に「ことのほかお喜び」になり、24歳男性の意見には「ご夫妻とも声を立ててお笑いになるなごやかな一コマもあった」と記事にある。
これは、昭和30年代に語られた農村におけるジェンダー平等ではないだろうか。原さんはこう書いている。
<一人で引きこもらず、人々との対話を続けることで危機を乗り越えた皇太子妃は、どこまでも「言葉の人」でした>
「言葉の人・美智子さま」を表すエピソードは数多あるが、75(昭和50)年から美智子さまが参加している「東京英詩朗読会」を紹介する。
その前年、白百合女子大英文学部教授のマリー・フィロメーヌさんが始めたもので、美智子さまもメンバーの一人として英語の詩を訳し、日本語の詩や和歌を英訳し、朗読した。平成になってからも、年に1度は参加していたという。
この会のことを「文藝春秋」(2015年1月号「美智子さまが訳された英詩のこころ」)で紹介したのは、渡邉允・元侍従長。美智子さまの40年にわたる取り組みを「才能と絶えざる努力の統合」とした上で、こう書いた。<ご苦労があっても、そこに楽しみを見出されるという皇后さまのご性格が現れていて、それはもしかすると科学者としての天皇陛下のご性格とも響き合うものではないかと拝見している>