皇室をめぐって揺れた2021年が終わる。さまざまな騒動が浮き彫りにしたのは、美智子さまという女性皇族が、どれほど稀有な存在だったかではないか。コラムニストの矢部万紀子氏が「言葉の人」美智子さまの静かな迫力としなやかな強さを読み解く。
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昭和の終わりから平成にかけて新聞記者をしていた。「元旦の1面トップで特ダネを飾るのが、記者の誉れ」といった話を先輩記者から時々聞いた。
1959(昭和34)年1月1日、朝日新聞朝刊の1面トップは「三十四年度予算案きまる」だった。総額は「一兆四千百九十二億」と見出しにある。特ダネ、ではない。
でも別な目玉記事が、ちゃんと用意されていた。国民的大関心事。それは<“よい家庭”をつくりたい 正田美智子さんにアンケート>。「予算案」の隣に載っていた。
そう、上皇后美智子さまだ。前年11月に皇太子さま(当時、現在の上皇陛下)との婚約が発表され、たちどころに国民を魅了した。宮内記者会がアンケートを送り、回答が31日に寄せられた、とある。お二人の写真(正田さんは振り袖)も添えられ、華やかだ。
見出しの「“よい家庭”をつくりたい」は、以下の回答文に由来する。
<よい家庭がつくれて、それが殿下のご責任とご義務をお果しになるときのなにかのお心の支えになり、間接的な、ちいさなお手伝いとしてお役に立てばと心から望み努力をしたいと思っております>
62年経って読み返すと、美智子さまスタイルの源流を感じる。常に上皇さまを立て、一緒に歩く時は必ず少し後ろだった。果たした役割は決して「ちいさなお手伝い」ではなかったが、美智子さまの心のありかがわかる。
実はこの回答、前段がある。それと問いとをあわせて読むと印象が変わる。問いは「国民はこんどのご婚約によって、古い皇室に新風が吹きこまれるものと期待していますが、これに対するご感想は……」で、答えはこうだった。