経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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「信頼に足る通貨は公共財である」。国際決済銀行(BIS)が発表した報告書の中にこの一文があることを発見した。報告書のテーマは中央銀行デジタル通貨で、BISと世界の主要7中銀による共同研究の成果だ。

 BISは国々の中銀を構成員とし、加盟する中銀間の情報交換の場として機能している。国際的な金融ルールづくりにも携わっている。加盟中銀からの預金も受け入れている。これらのことから、BISは中央銀行のための中央銀行と呼ばれたりする。中央銀行のための中央銀行が、中央銀行デジタル通貨に強い関心を抱いて研究を重ねている。このことには大いに注目しておくべきだ。

 だが、ここで取り上げたいのは、この問題ではない。ご一緒に考えたいのは、冒頭に掲げた「信頼に足る通貨は公共財である」という言い方の当否だ。

 本当に通貨は公共財なのだろうか。どうも合点がいかない。実際にこの問題を巡っては、賛否両論が巷(ちまた)にあふれているのである。

 端的に言えば、筆者には通貨が公共財だとは思えない。なぜなら、最も厳密にいえば、公共財の定義は「非排除性と非競合性が満たされている」ことだからだ。

 非排除性とは、誰もその財へのアクセスを阻まれないということだ。非競合性とは、その財へのアクセスを巡って競争が発生しないということである。公共財は誰でもいつでも手に入れられる。別の誰かが使っているからといって「使用中につきお待ち下さい」とはいわれない。

 通貨について、これらのことがいえるか。明らかに、そうではない。他人の財布の中に納まっているお札は、筆者には使えない。それをするには、スリになるしかない。貧困世帯は、通貨へのアクセスから大いに排除されている。通貨が非競合財なら、企業間でカネの分捕り合戦が起こるはずはない。通貨が非排除的で非競合的なら、富の偏在は生じないはずである。

 こうしてみると、BISが通貨は公共財だと言い切っている根拠が分からない。「信頼に足る」がポイントなのか。彼らは公共財をどう定義しているのだろう。解くべき謎が増えてしまった。経済名探偵に暇なし。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2022年2月14日号