鱒も鮎に負けぬほどうまいのだが、知名度で劣るのには理由があった。鮎の漁期は5カ月ほどあるが、鱒が本当においしいのは5月の1カ月間だけ。冷凍技術もない時代だ。わずか1カ月しか作れない鱒寿司のおいしさは、地元以外ではほとんど知られなかった。
富山市内で料亭や旅館を経営していた初代の源金一郎氏は、明治41(1908)年に駅弁の販売を開始。同45年に鱒寿司も売るようになった。
「もともと富山では祭りのときなどに、鱒で箱寿司を作り大きな折りに入れて切り売りをしていたんです。地方色のあるものを出したいと思って、始めたのでしょう」
富山の名物に育て上げたいという思いは、戦後、東京や大阪の百貨店などでの催事に出品するようになって、ようやく現実のものとなった。
「鮎の寿司は他所(よそ)にもありますが、鱒の寿司はない。そのうえピンク色がきれいだと人気になり、鮎寿司を追い越すほどになったんです」
同社の「ますのすし」の掛け紙には、文化勲章も受章した画家の中川一政氏が描いた鱒が。
「私の父が中川先生の絵に惚れ込みまして、頼み込みました。昭和39(1964)年のことです。先生は『鱒はわからないから持って来てほしい』とおっしゃって。後日、鱒をお持ちしたら、サラサラと描き上げたそうです。その後何度か掛け紙をリニューアルしようと名のある画家に相談したんですが、皆さん、中川先生の絵を見ると尻込みされる。結局、60年近く同じ絵を使っています」
鱒寿司が富山駅とその周辺など比較的狭い範囲で販売されているのに対し、九州のかなり広い地域で名物として売られている駅弁がある。かしわめしだ。鶏の出汁をベースに味をつけた汁で炊いたご飯の上に、甘辛く煮込んだ鶏肉がのる。
これを最初に出したのが、佐賀県の鳥栖駅を本拠とする「中央軒」だ。
「うちは明治25(1892)年に創業した八ッ橋屋など5社が合併してできた会社です。かしわめしは、前身のひとつの光和軒が、大正2年の創業時から販売しました」
と語るのは、同社代表取締役の片山明至さん。