内容だけでなく値段も料亭仕立て。米1升が6銭の時代に、12銭で売り出されたのだ。
話題にはなったものの、あまりに高いためなかなか売れず、1~2年経った頃には、共同経営者2人は去っていった。
ところがその後、状況が一変。というのも明治27(1894)年に、日清戦争が起きたからだ。
「戦争中は、広島の宇品港から人や物資を送ったんです。この戦争に備えて全国に鉄道網を敷いたともいわれています。山陽鉄道も広島まで延びました。姫路は軍都でしたから、多くの軍人や物資が広島に向かい、駅弁需要が高まりました。より東から広島に向かう軍人も、姫路停車中に駅弁を買いました。それで盛り返したんです。日清戦争がなかったら、うちは潰れていましたね」
これから戦場に向かおうという列車の中で、兵士たちが食べた駅弁の味はどうだったのだろう。同社はこれまで何度か、元祖幕の内を再現したことがある。
「実際に作ってわかったんですが、揚げ物はなく、味のごまかしがきかない煮物、焼き物ばかりでしょう。素材の良さと料理人の腕が問われる品です。さすがに料亭だと感じました。でも今の時代に再現しても、若い人にはまるで精進料理のように見えるのか手を伸ばしてもらえない。健康に気をつける女性が喜んでくれるくらいですね」
同社の駅弁販売のピークは、大阪万博が開かれた昭和45(1970)年。その2年後に山陽新幹線が岡山まで開通すると、売り上げは一気に落ちた。
代わりにデパートなどの催事での販売が重要になってきた。ただし催事では、牛肉や魚介類などの名産品を前面に出した弁当が人気を博す。
「うちも『あなごめし』や『牛めし弁当』がよく売れます。でもうちの軸は、やっぱり幕の内。目立つことはないけど、毎日食べてもいいと思える存在を目指しています」(竹田さん)
幕の内駅弁にとって苦境が続くが、元祖を発売した老舗は、兵庫県の食材にこだわるおかずで勝負を続けている。