地域の食文化を反映した味覚と個性豊かなデザインで、列車の旅にいつも彩りを添えてくれる駅弁。その歴史は日本が近代化を果たし、全国に鉄道網が張り巡らされていった明治・大正時代にまで遡(さかのぼ)る。当時の味と心意気を現在まで受け継ぐ「百年駅弁」にまつわる、数々のストーリーを追った。
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今年は日本で鉄道が走り出して150年という記念の年でもある。明治5(1872)年に、新橋と横浜が結ばれた。
旅の楽しみ・駅弁は、鉄道とあまり変わらぬ長い歴史を誇っている。起源には諸説あり、明治18年に宇都宮駅で始まったとか、明治10年に梅田駅あるいは神戸駅で始まったとか。もし明治10年説が正しければ、鉄道開業の5年後には誕生したことになる。
とはいえ当時売られていた駅弁は、握り飯と漬物だけ。空腹を満たすものでしかなかった。
車中での楽しみといえる豪華な駅弁が初めて販売されたのは、明治22(1889)年。今から130年以上も前のことである。以後、多くの駅弁が誕生しては消えていったが、100年以上もの時を超えて愛される「百年駅弁」もある。
最初の豪華駅弁が販売されたのは、姫路駅だった。「まねき食品」社史編纂室の竹田和義さんが、誕生当時のエピソードを披露する。
「明治21年12月に山陽鉄道の姫路駅と兵庫駅とが結ばれたんです。それを機に、初代の竹田木八は2人ほど実業家を誘って、翌年1月1日から駅売りの事業を始めました」
竹田木八氏は、従来の握り飯の販売では満足しなかった。というのも、
「初代の奥さんは姫路一大きな料亭の娘でした。そういうこともあって、経木に入れた立派な弁当を作ったんです。料亭での宴会の後に持ち帰る折り箱のような格好をしたものです」
その「幕の内辨當」たるや、鯛塩焼、伊達巻、焼蒲鉾、玉子焼き、大豆昆布佃煮、牛蒡、蕗、百合根、筍、人参、空豆、金団(きんとん)、奈良漬、梅干しの入った上折、白米の入った下折の二重の折り詰めだった。