大船軒 サンドウィッチ(現在)
大船軒 サンドウィッチ(現在)
大船軒 サンドウィッチ(大正15年の掛け紙)
大船軒 サンドウィッチ(大正15年の掛け紙)

 幕の内駅弁誕生からわずか10年後の明治32(1899)年。神奈川県の大船駅で、時代を超先取りする駅弁が販売された。サンドウィッチである。

 販売した「大船軒」広報・商品開発室の小川英恵さんが説明する。

「創業者の富岡周蔵は東京で呉服業などをしていましたが、明治22年に横須賀線(大船−横須賀)が開業したときに商機と見て、大船に移住。最初は駅前で旅館を経営していましたが、駅での販売許可を取り、明治31年に寿司を売り始めました。おそらく巻物や稲荷寿司だったと思われます」

 富岡氏は夫人が薩摩藩出身ということもあり、薩摩出身で2代目首相の黒田清隆と縁ができた。

「黒田さんが外遊中に食べたサンドウィッチの味を『忘れられない』と言って勧めたことから、創業2年目に製造販売に踏み切りました」

 当初、パンに挟むハムは輸入物を使用していたが、供給が安定しない。そこで富岡氏は自前で作ることに。戸塚近郊でハム作りをしていたイギリス人に技術を習い、明治時代後期に「鎌倉ハム富岡商会」を設立した。同社は現在もハムを製造販売している。

「サンドウィッチは大変な話題になり、泉鏡花のエッセーにも登場したほどです。初代は業界全体が潤うようにと、他社にも作るよう勧めました。その結果、次の名物を作る必要が出たのです」

 富岡氏が目をつけたのは、当時、江の島近海でわくように獲(と)れた鯵。これを押し寿司にして販売を始めた。大正2(1913)年のことである。

大船軒の伝承 鯵の押寿し
大船軒の伝承 鯵の押寿し

 こうしてできた「鯵の押寿し」は今も好まれ、同社では年間約150万尾もの鯵を消費。毎年秋に鎌倉の坂ノ下御霊神社で鯵供養を行っている。

 駅弁が、ごくローカルな名産品を全国区の知名度にまで押し上げることもある。その代表は、富山の鱒寿司だろう。

 かつて富山の名物は、鱒寿司ではなく鮎寿司だったと語るのは、「ますのすし本舗 源」相談役の源八郎さん。

「市内を流れる神通川で、鮎も鱒も獲れました。特に鮎のうまさは有名で、江戸時代に十返舎一九が『この川にはほっぺがたくさん落ちている。鮎寿司がうまいから』と言ったといわれています。鮎は後に、天皇家にも献上されました」

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