2月25日に創刊100周年を迎える日本最古の総合週刊誌・「週刊朝日」。多くの苦しみを生んだ悲惨な出来事も、国民みんなで笑顔になった素晴らしい出来事も、独自の視点で報じてきた。その長い歩みを、歴史に残る大事件を報じた数々の記事とともに振り返る。1980年代は何が報じられたのか。
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80年代前半、戦後最大の詐欺事件といわれる「豊田商事事件」が発生する。運用実態のない「金」の預託商法で、全国で数万人から約2千億円を集めたとされる。被害者のほとんどが独居の高齢者や主婦だった。
豊田商事への社会的な非難が高まる中、85年6月18日、永野一男会長が大阪市北区の自宅マンションで突如、2人組の男に刺殺される。男らは窓格子を外し、ガラスを蹴破って室内に押し入った。現場には約30人の報道陣が詰めかけており、衝撃的な凶行の瞬間がカメラに収められた。
一方、メディアに対して「犯行をなぜ止められなかったのか」との批判の声が噴出した。同年7月5日号では、現場に居合わせた記者やカメラマンたちの証言を掲載した。
「中に入るつもりだった。が、そんな状態じゃなかった。『こいつが永野や』といってA(原文は実名)が永野をヘッドロックして、血だらけになっていたのを見たときはショックだった」「なぜ止めなかったか、なぜ声をかけなかったのか、といわれると返答に困るんです。みんな、事件に引き込まれちゃったんです」
当時、本誌記者として記事を執筆した鈴木健・元編集長が振り返る。
「あっという間の出来事で『一種の興奮状態だった』と語った記者がいましたが、職業意識として現場の状況を伝えたいという思いが先行したのは理解できます。ただ、窓を壊し始めた時点で、止められなかったのかという指摘があるのもわかります。話を聞きながら、じゃあ私が現場にいたら何ができただろうと自問自答していました」
80年代の日本は安定成長期から、バブル期へと突入していく。その過渡期である85年は、特筆すべき事件が相次いだ。