「特に大阪は激動の1年でした」(鈴木氏)

 山口組が分裂し、一和会との抗争が勃発。1月に山口組の竹中正久・4代目組長が射殺されると抗争は激化していった。プロ野球では阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグを制覇。初の日本一にも輝き、関西は沸き立った。

「どくいり きけん たべたら死ぬで かい人21面相」の脅し文句で知られるグリコ・森永事件は84年3月、江崎グリコ社長の誘拐から始まった。青酸ソーダを混入した菓子を関西各地のスーパーにばらまくなど、85年8月まで食品企業が次々と脅迫された。

 8月12日、単独機の航空事故では史上最大の惨事となった「日航ジャンボ機墜落事故」が起きる。羽田18時12分発大阪行き日本航空123便(乗客・乗員524人)が伊豆半島東方から異常発生の緊急連絡を開始。18時57分ころ群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。同年8月30日号は、ダッチロールを繰り返しながら異常飛行した戦慄(せんりつ)の「32分間」を再現した。

<「緊急状態を宣言する」

 機長は、何度も足下のペダルを踏んで垂直尾翼についている方向舵(ラダー)を動かしたり、主翼の後縁についている補助翼(エルロン、機体を左右に傾けるときに使う)を操作した。が、機体はいうことをきかない。

「操縦できない!」(午後六時二十八分)>

 このとき、すでに垂直尾翼の3分の2は吹っ飛んでいた。そして、恐怖の墜落の瞬間を次のように描写している。

<高浜機長はついに決心する。高原と見えた場所に向かって、急に機首を下げ、着地寸前にグイッと機首を持ち上げた。コックピット内には、地上への異常接近を知らせる警報音が響いた>

 翌日、4人の生存が確認されたのみだった。『墜落の夏‐日航123便事故全記録』の著者で、ノンフィクション作家の吉岡忍氏が事故原因についてこう言及する。

「主翼の補助翼や垂直尾翼、水平尾翼は4系統ある油圧装置で動くようになっています。この油圧のパイプ4本は、1本が壊れても3本でカバーできます。ところが、4本ともダメになった。機内には4本の油圧パイプが集まっているところが1カ所だけあり、それが尾翼部分にある圧力隔壁の真下でした。この圧力隔壁が破壊され、その衝撃なり飛び散った破片なりがすべての油圧パイプを損傷してしまったのが最大の原因です。飛行機は操縦不能になり、空に浮かぶ鉄の塊でしかなかった。コックピットの機長ら3人はそんなことを知る由もありません。取材をしながらゾッとしました」

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