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写真と俳句を組み合わせて作品をつくる「写真俳句」が静かな人気を集めている。
筆者も写真俳句に打ち込む写真家を何人か知っているが、なかでも宮田さんは異色の存在だ。
宮田さんが思いを重ねるのは松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶といった古典俳句ではなく、大正から昭和にかけて活躍した漂泊の俳人・種田山頭火の自由律俳句。
■チベットで山頭火
「もともと、俳句が好きだったんですか?」と、宮田さんにたずねると、「いや、ぜんぜん。山頭火が好きなだけで、それも最近のことなんですよ」と言う。
山頭火といえば、さまざまな場所を旅した、なつかしい日本の風景が思い浮かぶ。ところが、宮田さんの作品はそれを軽やかに裏切るのだ。
例えば、「山へ空へ摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」という句が添えられた作品。そこには、白い峰を背景に黄色いけさを身につけた僧侶の姿が写っている。
宮田さんがインド北部のラダック地方に滞在していたとき、チベット仏教の高僧が村を訪れた。彼らは現地の人々にとって、ひれ伏すほどの存在という。
しかし、それを間近から写した際のエピソードが人を食っている。
「別に興味なかったんですけれど、現地の人に『ご飯をくれるよ』って言われて、そこに行ったら、偶然、中世の宗教画みたいな写真が撮れた」
絶妙な人物の配置、よく光がまわったライティング。それは、つくり込んで写した広告写真のようにも見え、ぜんぜんドキュメンタリー写真っぽくないのが面白い。
■「ああ、すごくだめなおじさんだなあ」
群馬県高崎市で生まれ育った宮田さんが初めて山頭火に触れたのは高校時代。
「問題を起こして授業に出させてもらえなくて、図書室で謹慎させられていたんですよ。そのときの担任が国語教師で、『俺、ラップ(ミュージック)を始めた』って言ったら、『山頭火っていいよ』と、言われたのを図書室で思い出した。で、ああこれか、と思って読んだ」
しかし、ラップの歌詞に使えるような言葉が見つからないどころか、カッコよさはまったく感じられなかった。
「ああ、すごくだめなおじさんだなあ、と思った。酒飲んで、破産して、離婚して。自分はこんなふうになりたくないなあ、と思った」
家族を捨て、旅と酒に溺れる破滅的な生活を送った末に亡くなった山頭火。
当時のラップは男らしい勇敢さを歌うのが鉄則で、自分の弱さを見せるのは論外だった。
「あのころの俺もそれに染まっていた。何も分からず、世間で戦ったことものないのに、とにかくカッコつけて、強がっていた。でも、山頭火の俳句って、自分をディスって、笑って見せるじゃないですか。そういうのは男らしくないし、絶対にだめだな、と思った」
ところ最近、そんな山頭火が「いいな」と、思えるようになってきたという。
「要するに、自分もそういうだめなおじさんになっちゃったんですよ(笑)。ずっとフラフラ、放浪生活をして、いろいろ打ちのめされて……。少しずつ共感っていうか、ああ、わかるな、と思うようになってきた」