そのシーズンのオフにはFAとなり、3年契約でアストロズに入団。移籍後も怪我に苦しむことも多かったが、移籍1年目の08年には96試合の出場で打率.293(375打数110安打)、6本塁打、33打点、20盗塁の好成績を残している。

 また、二塁手の守備ではロッキーズ時代の07年に続き、09年にもナ・リーグのレンジファクターでトップの数値をマーク。入団時は酷評されたこともあった守備力も高いことを示した。ロッキーズ在籍時ほどの活躍はできなかったが、09年にはメジャー最多の132試合に出場し、10年シーズンまでプレーした。

「メジャー初年度に他球団を選んでいればと考えてしまう。元々守備は足の速さと身体能力に頼った部分があり不安はあった。最初から二塁手として起用されればどうなったか。また、故障がなければどこまでやれたのか。環境、運など多くの要素が絡むことを改めて痛感した」(MLBアジア地区担当スカウト)

 メジャー通算7年間で630試合出場。打率.267(2302打数615安打)、32本塁打、211打点、102盗塁。

 その後、西岡剛、中島宏之、川崎宗則らメジャーに挑戦した日本トップクラスの内野手たちがレギュラー獲得すらままならなかったことを考えると、この数字は立派だ。

 イチローの活躍を目の当たりにし、大きな期待を抱いたファンからすると物足りない感じもあるが、松井のメジャー挑戦は決して“失敗”だったわけではない。