鉄道模型店のジャンク箱のような旧車体がひしめく滝頭車庫風景。背後の矩形庫が滝頭車両工場で、跡地が「横浜市電保存館」に転用された。(撮影/諸河久)
鉄道模型店のジャンク箱のような旧車体がひしめく滝頭車庫風景。背後の矩形庫が滝頭車両工場で、跡地が「横浜市電保存館」に転用された。(撮影/諸河久)

鉄道模型店の「ジャンク箱」

 次のカットが滝頭車庫の片隅に留置される貨物電車の廃車体で、鉄道模型店のジャンク箱を覗いたような気分になった。画面右端の28号は終戦後にトラック代用として中央市場(ちゅうおういちば)から生鮮食料や物資を市中に輸送した有蓋車で、300型からの改造車だった。左の9号は10号と共に事業用として使われた無蓋車で、1947年に戦災を受けた400型から改造された。画面左端には倉庫と化した800型の廃車体も見える。

 画面背景の矩形庫が滝頭車両工場だ。1972年に横浜市電が全廃された翌1973年8月、工場を増改築して「横浜市電保存館」が開館した。1983年からは市営住宅に建て替えられ、建物の1階が横浜市電保存館として運営されている。

「代用品電車」の異名を持つ700型を撮影する。木造車体のここかしこに疲弊が忍び寄っていた。滝頭車庫(撮影/諸河久)
「代用品電車」の異名を持つ700型を撮影する。木造車体のここかしこに疲弊が忍び寄っていた。滝頭車庫(撮影/諸河久)

 最後の写真が700型で、在籍17両のトップナンバーだった。200型の再生車として1939年から滝頭車両工場で製造され、全長8.6m、定員60名(座席定員20名)の四輪単車。日中戦争が始まり物資節約が叫ばれる世相を反映して、車体や内装など鉄材に替る代用品を多用した木造車体だった。そのため「代用品電車」と呼称されたが、浅い屋根は軽快感に富んでいた。台車はブリル21E型が転用されたが、1952年からは廃車された400型のブリル79E-2台車と振り替えが行われた。

 本連載でも概報した大型単車の800型も含めて、この行事は貴重な市電車両を記録する最後のチャンスとなった。次回の横浜市電は、終戦後に敷設され、前述の貨物電車も走った中央市場線を紹介しよう。

■撮影:1964年4月26日

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