その後、84年に出店した堀江店は、ある意味で斬新、別の角度でみれば原点回帰というべき店だった。同社初のオムライス専門店にしたのだ。

「当時の堀江は、和光寺への参拝客ばかりだったため、洋食目当てのお客様は少ないと思いました。そこで、何か面白がってもらえる工夫が欲しいと思ったんです」

 茂登志さんはそのころ、2代目社長の座に就いて18年が経っていた。が、本来は料理人で、オムライスを高い技術で作り続けてきた。それだけにこだわりと愛情が強かったのだろう。

「私が53年に料理人になったころ、卵はまだまだ高い食材でした。それで、卵をクレープみたいに薄くて破れんように焼く技術が要ったんです。今はオムライス1食に卵を2個使ってますけど、当時は1個の卵で二つ巻いていました。卵を上手に溶いてしばらく置いておけば、コシがなくなる。そうすると、薄焼きでも破れないんです」

 その5年後には、ふぐ料理の「北はし」もオムライス専門店に転向させ、北極星本店とした。「北はし」の店舗は、50年に完成した数寄屋造り。純日本建築でオムライスを食べるミスマッチが評判を呼んだ。

 後に東京の資生堂パーラーが伊勢海老とアワビのカレーを1万円で出して話題になると、茂登志さんは伊勢海老オムライスを3600円で出すように命じた。これについては社員の多くが反対したそうだが、大阪のメディアがこぞって取り上げてくれたおかげで、店は大繁盛した。

 こうして北極星はオムライスに注力していく。

 さてもうひとつの看板のホルモン料理だが、希少部位が手に入りにくくなったなどの理由で、55年ころに提供を中止したという。

 しかし創業100年を迎える今年の7月14日にエキマルシェ大阪に開いた店舗では、マルチョウの塩ダレ焼き、ホルモンのガーリックピラフ、牛すじ煮込み洋風ワイン仕立てなど、ホルモン料理を前面に出している。

 現在、同社は15店舗を経営している。大阪府に12店、京都府に2店、兵庫県に1店。

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