シリーズ「100年企業」探訪。今回は北極星。トマトケチャップで味付けしたライスを薄く焼いた卵でくるむ。今では子どもから大人まで人気のオムライスは、約100年前に大阪の老舗食堂で生まれた。日本発祥のこの洋食の誕生には、店主の優しい気持ちが包まれていた。
【写真】100年続くオムライス発祥店、こだわりのおいしそ~な「オムライス」
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1922年、大阪・汐見橋そばに、洋食店「パンヤの食堂」が開店した。その3年後には、日本を代表する洋食メニューがそこで生まれるのだが、開店当初は誰もそんなことを予見していなかっただろう。ささやかな店で、店頭ではパンを売っていたという。
創業者・北橋茂男氏の息子で2代目社長の北橋茂登志さんが、86歳という年齢を感じさせない力強い声で説明する。
「先代は東京で修業して大阪に帰って参りました。その後、パン屋の神崎屋(現在の神戸屋パン)の2階にあったグリルで、責任者という形で修業させていただき、開業資金を貯めたんです。店を出してからは、お世話になった修業先のパンを小売りしながら、中で食堂を経営。そのため屋号を『パンヤの食堂』と。当時はパンを食べる人も珍しかったと思います」
ささやかだったはずの洋食店は、たちまちのうちに人気店となって、どんどんと店舗数を増やしていく。
その秘密は、驚異的な安さにあった。どうやって料金を低く抑えたかは定かではないが、
「かけうどんが10銭やったときに、洋食のアラカルト、エビフライとかハンバーグなどを全部10銭均一で始めたものですから。まだまだ洋食が珍しく、コーヒーを出したら、何でもソースをかけるもんだと思ってソースを入れて『変わった飲み物やなあ』と言ったお客さんがおった……。そういう時代の話です」
珍しさと安さとがあいまって、店は大繁盛。開業から9年後の31年には、23店舗を数えるほどになった。大阪市の人口が300万人ほどの時代。
「一番多かった日には、全店で3万5千人ものお客さんがいらしたといいます。ほんまか?という話なんですけど。阪急百貨店の上の大食堂(29年開業)では、1日にカレーが1万3千食売れたという話です。それを考えたら、うちは店の数も多かったし、あながちありえない話でもないんでしょうな」