■写真家・星野道夫さんを訪ねて
一方、写真を撮り始めたきっかけは、星野道夫さんの写真集との出合いだという。
「当時、通っていた英会話の先生からクリスマスプレゼントをもらったんです。開けてみると、写真集が出てきた。(写真集?)と思ったんですけれど、ページをめくると、写真がすばらしくて」
そこには巨大な白い山を背景に、湖で水草をはむヘラジカが写っていた。
「それが、私には油絵のように見えたんです。(こんな写真を撮る人がいるんだ。写真を撮るって、どんな仕事なんだろう)と思って、アラスカに星野さんを訪ねた。23歳のときでしたね」
北極圏に近い街、フェアバンクスに足を運んだ。住所はわからず、星野さんのエッセー集が頼りだった。
「その本に行きつけのアウトドア用品店のことが書かれていた。店を訪ねたら、電話をかけてくれて、星野さんにお会いできた」
昼食をごちそうしてもらい、いろいろな話を聞かせてもらった。
「まあ、言ってみれば、人生相談でしたね。『写真集を見て、写真という仕事を少し意識しているんですけれど、写真家って、どんな仕事ですか?』と。そんな、たわいもないことを聞いたんです」
すると、「写真家というのは食べていくのが大変な仕事で、お金もかかるし、時間もかかる。でも、そこまでしてやりたいものがあれば、やっていけるかもしれないね」、と言われた。
「でも、まだそのときは写真をやろうとは決めていなかったんです」
■衝撃を受けた生と死の世界
バンクーバーに戻った岡野さんは、自然に関わる団体で働きたいと思い、履歴書を送った。「自然保護協会、野鳥の会とか。思いつくかぎり」。
しかし、「全部、お断りの返事が返ってきた。まあ、そうでしょう。自然保護が専門の大学生でもないのですから」。
そして、腹をくくった。
「だったら、一人でできることをやるしかないだろう。写真をやろうと思いました」
帰国後、アルバイトをして資金をため、94年、初めてアダムス川を訪れた。
「もう、圧倒されました。川に赤いじゅうたんを敷き詰めたような美しさ。こんなにたくさんの魚が上ってくる川があるんだ、と思った」
しかし、あまりにも圧倒されてしまい「まともな写真はぜんぜん撮れなかった」。