「らーめん 福籠」の味噌らーめんは一杯750円(筆者撮影)
「らーめん 福籠」の味噌らーめんは一杯750円(筆者撮影)

■あえて「すみれ出身」と謳わない理由

 JR・都営浅草線の浅草橋駅から徒歩2分。裏路地に入ると、「らーめん 福籠」がたたずんでいる。札幌の名店「すみれ」出身の店主・畑谷雄飛さんが13年にオープンし、王道の札幌味噌ラーメンを独自進化させた一杯が人気の店である。

 1977年生まれの畑谷さんは、味噌ラーメンの故郷・札幌市の出身。幼い頃からラーメンといえば味噌ラーメンだった。高校を卒業し、飲食の道をと専門学校を目指したが、金銭面の問題で進学できなかった。洋服店、バー、電機メーカーなど様々な職を転々としたが、どこかで飲食への憧れが残っていた。20歳を過ぎたあるとき、友人に連れられ食べに行った「すみれ」で、その味に衝撃を受ける。

 その後札幌を離れ、仕事を続けていたある日、テレビで「すみれ」が新横浜ラーメン博物館(「ラー博」)に出店するドキュメンタリー番組を見る。当時はラーメンブームの真っただ中で、かつてその味に衝撃を受けた「すみれ」の躍進を知り、畑谷さんの心が躍った。

 畑谷さんはスーツを着て「すみれ」に面接に行き、アルバイトとして働かせてもらうことになった。01年9月、24歳のときだった。札幌の本店で働き始め、12月まではネギを洗ったり、タマネギの皮をむいたり、お土産の販売をしたりと雑用をしていた。厨房(ちゅうぼう)に入れてもらえない日々。憧れの「すみれ」の厨房の中が見たくて見たくてしょうがなかった。

 しばらくすると、厨房の後片付けを任されるようになった。何をしていいかわからず、先輩に聞いても「自分で考えろ!」と言われた。「すみれ」は先輩の仕事を見ながら、自分で学んでいくスタイルだった。

 02年の1月、店長の退職に伴い、ラー博店の店長が1カ月限定で本店に戻ってくることになった。そのとき、厨房で畑谷さんが後片付けを要領よくこなす姿が店長に見初められ、盛り付けを任されるようになる。さらに1カ月後、店長からラー博店で一緒に働かないかと打診を受け、02年2月、畑谷さんは店長とともに横浜に移り、ついにラーメン作りに携わるようになった。

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小樽店に呼ばれた畑谷さんは…