私自身も経験したことがあるが、福島県の中央部「中通り」の人たちと話して、原発事故の話題に触れると、とても複雑な感情が伝わってくる。
「福島の人たちって、みなさん、素朴でやさしい人が多いんですよ。だから、そういう感じがにじみ出てくる」
そう話す渡辺さんに私は大きくうなずいた。
「でも、『(沿岸部の)浜通り』の人たちからは『時間が止まってますね』と、言われる。そんな状況をみんなに知ってもらいたいという気持ちがある。だから取材にすごく協力してくれるんです」
本格的に取材を始めたころ、地震発生時から何も変わっていない様子に衝撃を受けた渡辺さんだったが、現地を繰り返し訪れるうちに、明らかな変化も目にするようになった。帰還困難区域は徐々に解除され、JR常磐線も復旧した。
「そのとき、大倉さんといっしょに大野駅に行ったんです。『ほっとした』と言って、泣いてました」
■そこから何が生まれてくるのか?
津波で流された富岡駅も立派な駅舎に建て替えられ、駅前にはホテルもできた。
そんなニュースが流れると、「世の中の人は、『ああ、福島って、もうそろそろいいんでしょ』みたいに思う。でも、ぜんぜん終わっていないどころか、まだ、スタートも切れていない人がたくさんいる」
廃炉作業を含めて、巨大なインフラ事業に巨額の国費が投じられる一方、地元の人が再び根づくための基盤は失われたままという。
渡辺さんは大規模な復興事業に対して、「真っ向から否定するつもりはまったくない」と言う。
そのうえで、「地元の人の生活に関わる、『えっ、それはどういうこと?』という部分を表現していきたい」と語る。
だがそこで、自分の言葉を遮るように「難しい」と口にした。
「やっぱり、写真の題材としてはすごく難しくなってきている。それでも、撮り続けていきたいと思うのは、なんだろう」と自問する。
「目に見える変化というのは、ある程度の時間がたてば終わってしまう。けれど、そこから何が生まれてくるのか? 何が失われていくのか? これから追っていきたいのはそういうところかな」
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】渡辺幹夫写真展「フクシマ無窮-時は止まりて、流れる-」
ニコンプラザ東京 THE GALLERY 6月8日~6月21日