漁業でかつて潤った名残りと原発の風景
紀伊半島を炭焼きに絞って写したのは、「この半島はあまりにも大きいので、テーマを絞らないと撮りきれないから。それで、紀州備長炭がいいな、と思ったんです」。炭焼き小屋からは古めかしい軍艦の大砲のようなパイプが並び、突き出ている。その先からうっすらと煙が立ち上る。真っ赤な焼けたての炭。その熱で変形したような茶色い指。闇夜の森を背景に赤い火の粉が静かに舞い上っていく。
「植生も外国みたいで、ちょっと異国感を意識した」と言う薩摩半島。砂むし温泉で知られる指宿の南には山川港がある。鰹節が特産品で、なかでも高級な本枯れ節の生産は日本一という。鰹節工場で働く海外からやってきた女性たち。対岸の大隅半島を行き来するフェリー。「日本の入口であり出口であるという感じを表現するためにフェリーで行ったり来たり。乗っている人のポートレートをたくさん撮りました」
下北半島は祭りの場面から始まる。低い雲が垂れ込めた暗い津軽海峡を背に獅子舞が跳ねている。酒樽で飾られた山車。神様を迎え入れるための豪勢な供え物が置かれた屋敷の玄関。漁業で潤ったかつての暮らしぶりを感じさせる。そして、あまりにも対照的な現実。
「ここの人たちはけっこう、東通原発で働いているんです」
原発労働者の寮。太陽光発電パネル。石油備蓄基地。
「そういうものを気持ち悪いくらいに美しく撮りたかった」
男鹿半島では「なまはげを撮りました。山の神様です」。蓑をまとった金髪のいまふうの若者が雪の上をふらふらと歩いていく。たずねた家々で酒を振る舞われ、千鳥足なのだ。手にしたゴワゴワした長い髪の面。
「で、まわり終えたら、山の中の御神木になまはげの衣装を結び付けて、手を合わせて、山にお帰りいただくんです。たぶん、このことを知っている人はほとんどいないです」
亀田半島では昔、馬を使い、先端にある恵山から硫黄や木材を根元の函館の町へ運んでいた。その名残で、この地ではいまも「馬喰」が営まれている。「馬を育てる仕事。馬肉用とか、観光用の馬」。その岩のような背中に雪が降り積もっていく。「馬刺しの肉はたいがいポニーですね」。ぽつりと言う。(そうなのか)、初めて知った。日本は広いなあ、と思う。
空気感や、ものが語りかけてくるような存在感も伝えたかった
ちなみに、シリーズ1作目の『耕す人』では農家の人のしぐさがすごく気になったそうで、それを見せるように写したという。それに対して今回は、もう少しその場の空気感や、ものが語りかけてくるような存在感を伝えたかった。作品に人のない風景が増えたのはそのためだ。
「『いままでとは違うね』とおっしゃられる方がすごく多いんです」
確かにそうかもしれない。でも、写真集を見終わると、(やっぱり、公文さんだなあ)と、思ってしまう。色づかいも撮り方もブレがない。
「今回、初めてデジタルで撮りましたけれど、連作なので異質なものにならないように、フィルム(アナログ)の質感を出すことにこだわりました」
大きなテーマである「土地と人の暮らしとのつながり」は、『耕す人』以来、一貫している。
「いちおう、4連作なんです」
そう言うと、すぐにこう言い直した。
「5、6連作になるかもしれません」
茶目っ気たっぷり、ではなく、決意表明のような顔だった。
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)