■カメラマンを諦め、29歳でラーメンの世界へ
JR横須賀線の保土ヶ谷駅を降りて徒歩3分。国道1号線沿いの商店街の中にひときわ目立った行列を成すラーメン店がある。「櫻井中華そば店」だ。
信州黄金シャモを中心とした鶏の旨味が強いスープに、深みのある醤油ダレを合わせた見た目以上に主張の強い一杯だ。ここに合わせるのは王道の細麺かと思いきや、自家製の中太の手もみ麺。流行りの淡麗系の醤油ラーメンと一線を画する個性が多くのラーメンファンを引き付け、人気店となっている。
店主の櫻井啓吾さん(39)は横浜市の戸塚出身。中学・高校時代からラーメンが好きで、土地柄、横浜家系ラーメンをよく食べていた。高校卒業後はカメラマンを志して専門学校に進学。その後、雑誌の編集部でカメラマンのアシスタントを務めた。
仕事を始めてからもラーメン好きは変わらず、写真の現場に行くついでにラーメン店を巡るのも楽しみの一つだった。特に好きだったのは駒沢の「せたが屋」「ふくもり」や「つけめんTETSU」。当時は豚骨魚介系の全盛の時期で、人気店が多数オープンしてブーム化していた。
だが、一流のカメラマンになるまでの道は遠く、なかなかお金も稼げない日が続いた。カメラを続けるべきか、将来を迷う櫻井さんに追い打ちをかけるかのように、カメラ業界も変化していく。当時のカメラ業界は、フィルムとデジタルのちょうど分かれ目の時代。フィルムが好きだった櫻井さんにとって、デジタル化の流れは夢の終わりを示していた。
そんな頃、よく通っていた「せたが屋」の店主がテレビで月収を発表しているのを見た。その金額に驚いた櫻井さんに、ラーメン職人として生きていく選択肢が芽生えた。
ちょうどこの時、横浜市の反町にある「ShiNaChiKu亭」で淡麗系の醤油ラーメンの魅力を知った。ラーメンをやるならば自分の店を開きたい。当時27歳だった櫻井さんは、ラーメンの世界に入る前から独立を視野に入れ、開業資金を貯めるために新聞配達や営業の仕事にまい進した。そして600万円を稼いだ後、29歳でラーメンの世界に入る。
修行先に選んだのは厚木市にある「麺や 食堂」だ。ここはラーメンの味だけでなく、接客も素晴らしいことで有名だった。子ども連れのファミリーをとても大事にしており、子どものために駄菓子やおみくじなどを置き子どもたちの笑顔が絶えない地元に愛される店である。本連載で以前紹介した「らあめん 鴇(とき)」の店主・横山巧さん(33)も同時期に働いていたという。
しかし、未経験で入った櫻井さんには通用するものが全くなく、周りとの大きな差にラーメン職人の厳しさを思い知る。このまま続けるよりも環境を変えた方がいいと考え、半年で退職する。
今度は府中市にある「麺創研 かなで」の門を叩いた。同僚にも独立志望の人が多く、その中で揉まれながら必死にラーメン作りを覚えたという。6年間の修行の後、独立の日を迎える。
当初は地元・戸塚の近くで物件を探していたが、思うような店がなかなか見つからず苦戦。そんなある日、保土ヶ谷の商店街にある物件を紹介される。書店の跡地で居抜きとしては使えないが、駅の近くで場所は悪くない。開業資金を貯めていたため改装費は支払えそうだった。さらに、このタイミングで修行先の「麺創研 かなで」が移転することになり、旧店舗の厨房設備を退職金代わりに譲ってもらえることになる。17年9月、「櫻井中華そば店」はオープンした。
開店祝いの花もたくさん届き、滑り出しは好調。ラーメンフリークや、噂を聞き付けた地元の客でも賑わった。しかし、そんなオープン景気もあっという間に過ぎ去り、わずか2カ月で閑古鳥が鳴き始めた。櫻井さんは言う。