今泉が館長を務める伊豆高原の「ねこの博物館」には、絶滅したスミロドンから希少種のトラ、ライオン、チーター、ヤマネコに至るまで、100点近いネコ科動物の剥製や骨格標本が展示されている(撮影/馬場岳人)
今泉が館長を務める伊豆高原の「ねこの博物館」には、絶滅したスミロドンから希少種のトラ、ライオン、チーター、ヤマネコに至るまで、100点近いネコ科動物の剥製や骨格標本が展示されている(撮影/馬場岳人)

 こうして作成したリポートは、もうすぐ1千枚に達する。

「痕跡を記録することで、そのエリアにどんな動物がいるのか、何を食べているのか、繁殖期はいつかといったことが、少しずつわかってきます」

 一つの「恐らく確からしい事実」を突き止めるまでにかかる時間は最低2~3年。しかしその集積が、やがて点つなぎの図形のように、今まで見えなかった巨大な野生の生態を明らかにしていく。

「何かの役に立つからというより、楽しくてずっとここまでやってきたって感じですねえ」

 今泉は在野の研究者だ。国や大学、企業の研究組織にも属していない。月に1度の奥多摩の動物調査に同行するメンバーも、研究者ではなく素人ばかり。美術館の事務員や下北沢の洋服店のスタッフ、雑誌編集者の母とその娘など、いずれも仕事や講演会を通じて今泉と知り合った。

 都内で編集プロダクションを経営する女性編集者は、以前勤めていた職場の飲み会で今泉と意気投合。6年前から奥多摩の調査に参加している。最初は山も動物にも興味がなかったが「先生の話が面白過ぎて毎月通うようになった」と話す。

「不思議なんですけど、先生の解説を聞くと、そこらへんにある草とか虫でも、目に入るもの全てに意味があるように見えてくるんですよね」

■父と兄とで小4から山へ、動物学者の父に全て教わる

 今泉が本格的に山に通い始めたのは10歳のとき。

 生まれは東京・阿佐谷。木造2階建ての家に両親、兄、弟、妹、父方の祖父母、母方の祖母の家族9人で住んでいた。終戦直後は駅の近くに森や田んぼがあり、よくザリガニを釣って遊んだ。

 小学4年生になると、動物学者の父に連れられ、兄と高尾山に通うようになる。当時は観光地化が進んでおらず、動物の探索や捕獲も自由にできた。

「ヒミズ、アカネズミ、ヒメネズミ……色々捕まえましたね。朝早くに電車で行って、一人50個ほど罠をかけるんです。とれるのは3~4匹ぐらい。それでも楽しくて夢中で山を走り回ってました」

 捕まえた動物は自宅に持ち帰り、剥製(はくせい)や骨格標本にした。効率的な罠の仕掛け方、体長・体重の厳密な測定方法、内臓の美しい取り除き方。それらの全てを父から教わった。

「父は、標本を作りながら世界中の珍しい動物や進化の話をたくさん聞かせてくれました。あとね、科博(国立科学博物館)の研究者だったから、自宅にコウモリとかイリオモテヤマネコがいきなり送られてくるんです。ほかにもイヌ、ハト、モグラ、ヘビとか、まあ色々飼いましたねえ」

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ