トガリネズミの頭骨。蓋をした容器に頭とカツオブシムシを入れておくと、虫が肉を食べてきれいに骨だけが残るという。父と作った数百の骨格標本は、国立科学博物館に寄付し、資料室に眠っている(撮影/馬場岳人)
トガリネズミの頭骨。蓋をした容器に頭とカツオブシムシを入れておくと、虫が肉を食べてきれいに骨だけが残るという。父と作った数百の骨格標本は、国立科学博物館に寄付し、資料室に眠っている(撮影/馬場岳人)

 こうして多種多様な生き物に触れ、父に手ほどきを受ける中で、今泉は自然と父と同じ動物学者の道を志すようになった。

 父親の吉典は、日本の動物分類学の草分けだ。東京大学の獣医学実科を卒業後、今泉が生まれる前は農林省管轄の「鳥獣調査室」に勤めていた。

 若き日の父の話を聞くため、都留文科大学名誉教授で、現在は岩手県でナチュラリストとして活動する今泉の兄・吉晴(78)の元を訪ねた。

「当時は第2次大戦中で公な研究活動ができず、父の仕事は専ら木炭の管理と配給でした」

 鳥獣調査室には高名な学者も名を連ねていたが、戦火が激しくなると全員疎開してしまったという。

「父は『その間に本局にある一級の研究資料を読んで思う存分勉強ができた』と笑っていました」

 戦後、吉典は戦中に進めた研究成果を『日本哺乳動物図説』(洋々書房)にまとめて発表する。

■徹底した経験主義で大学卒業後も就職考えず

「この本は間違いなく当時の動物学の最先端でした。しかし、ここに描かれた“死んだモグラのスケッチ”を見てもわかるように、ほとんどの情報は剥製や標本、外国の論文を基に書かれていて、生きた動物はほとんど観察されていませんでした」

 吉晴は「終戦直後までの日本の動物学は、海外の学者らが発表した研究成果の“後追い確認”が主だった」と語る。父の吉典は、そのような状況を打破するため、戦後に国立科学博物館の研究員になると、精力的に全国の山や森を巡り始めた。

「そのとき弟の忠明も、父の助手として日本列島総合調査や採集旅行によく同行していたのです」

 こうして今泉は、父や兄と共に、既存の図鑑にはない数々の新発見や成果を上げていく。

 1972年、28歳のときに高知県の足摺岬で、絶滅危惧種(現在は絶滅)のニホンカワウソを調査、生息を確認。また翌73年には沖縄県西表島に赴き、2週間泊まり込みで格闘した末、世界で初めて野生のイリオモテヤマネコの撮影に成功。写真は新聞一面に掲載され、翌年から国がイリオモテヤマネコの本格調査を行うきっかけを作った。

 こうした活動と並行して、個人では上野動物園2代目園長の林寿郎から依頼を受け、70年から富士山に生息する哺乳類を調査。標高1450メートルの山小屋に4年間一人で住みながら、キツネやノウサギ、ニホンカモシカなどの生態を調べた。

 そのほかにもアメリカの国立公園でハイイログマの観察をしたり、インドネシアのコモド島でコモドオオトカゲの食性と毒性の調査をしたりと、その行動範囲と研究対象は限りがない。

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