人の毎日の行動は、習慣になっているから、食事も同じだ。私の知り合いの、子供がいない50代後半の女性はフルタイムで働き、夫と2人暮らしなのだが、

「最近、全然、御飯を炊いてないんです」

 という。若い頃は鍋で御飯を炊き、夫も協力的で早く帰ったときはよく料理を作ってくれていたという。

「今は会社から帰ると、夜9時くらいになってしまうし、それから料理を作るのも面倒になっちゃって」

 それはそうだと同情した。人は歳を取って年々体力が落ちるし、できなくなることが増えてくる。彼女は平日は夫と連絡を取り合って、どちらかが2人分の晩御飯用の弁当や惣菜を買って家で食べる。朝食は食べないか、冷凍してあったパンを焼いてジャムやスプレッドを塗り、コーヒーを飲んで家を出る。休日は、ふだんは2人でいる時間が少ないので、外出して食事をするのだという。

「これじゃ、いけないと思うんですけどね」

「それでいいんじゃないの。無理をしないほうがいいわよ」

 そう私はいった。疲れきって家に帰ったのに、それから御飯を炊いて飯を作れというのは、2人にあまりに酷な話である。それならば食事は外注方式にしたほうがいい。休日に夫婦で出かけて、そこで食事を摂るほうが、2人のためにはずっといいような気がする。

 それは彼女が過去に食事を作った経験があり、下地ができているからだ。きっと彼女は、今、御飯を炊いて味噌汁を作ってといわれても、すぐに作れるだろう。料理は自転車と同じで、一度、うまくいったら、一生、作り続けられるようになる。しかし今は、その自転車に乗る練習すら拒絶する人が多い。

 糖質等の問題で御飯の肩身は狭いし、家族構成の変化もあって、これからもっと米の消費量は減りそうな気がする。おせちでさえ、日本人が親しんできた、、御飯とは合わない味付けになり、10年後には存在すらなくなってしまいそうだ。日本人の食が生活環境、嗜好と共に本当に変わってきた。こんな現状ではそれもまたやむをえないと、さびしい気分で納得したのだった。

※『一冊の本』2019年3月号掲載

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