おまけに牛肉大サービスで、これがまた大きめの器にぎっちぎちに詰められていて、いくら食べても減らない。掘っても掘っても味噌をまぶした肉が出てくる。その残ってしまった牛肉類は、結局、年末に買っておいた、れんこん、ごぼう、こんにゃく、にんじん、しいたけなどを煮たなかに投入して消費した。しいたけも入れたので、出汁は使わずにただの水で煮たのだけれど、それでも十分な味噌味の煮物になった。

 昨年はおせちを食べたおかげで自炊の習慣が途切れ、気力を失いかけて、これはいかんと自分を奮い立たせたのだが、今年はおせちがいまひとつだったので、

「やっぱり自炊を頑張ろう」

 と自分を叱咤できたのはよかった。昨年よりも今年のおせちのほうが、料理も味付けも、消費者の好みを考えた一般的なものといえるだろう。私は糖分を過剰に摂取すると、注意喚起のように膝下に小さな発疹が出るのだが、久しぶりに発疹が出た。

 年頭、私とほぼ同年輩の男性がラジオで、「今どきおせちなんて、喜んで食べるような人はいない」という内容の話をしていた。もちろん彼はいわれを知っているのだが、話の中で何度も、

「あんなまずいもの」

 と吐き捨てるように繰り返したのが面白かった。食べられないほどまずくないのだから、そんなふうにいわなくてもいいのにとも思ったけれど、よほどひどい味付けのおせち料理を食べてきたのだろう。

 私が子供のときは、正月に食べるのは雑煮と母親手作りのおせち料理しかなかったので、目の前に並べられたものを食べていた。伊達巻きや栗きんとんは甘くておいしかったが、ごまめは重箱の中での存在の意味がわからなかったし、黒豆の中に入っている、ヒョウタンツギみたいな赤いちょろぎ(長老喜と書き、植物の球根であるということは、ずっと後に知った)については、

「こいつ、何者?」

 という疑問しかわかなかった。ふだんの食事のほうがいいなとは思いながら、お正月はこういうものと、特に文句もいわずに黙々と雑煮や磯辺焼きと一緒に食べていた。他に食べるものがなかったということもある。

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