冷蔵庫の中で仕事をする食肉の卸業界とは一転、ラーメン店の現場は暑い。師匠の阪田さんはラーメンの作り方を惜しみなく教えてくれ、厨房にも積極的に入らせてもらえたが、一向に上手に作れるようにならない。店の外にできた行列に焦りを抱きながらも、諦めずに続けるしかなかった。
修行は1年だけと考えていた下村さんだったが、気が付けば2年10カ月が経っていた。先輩の後押しもあり、ようやく独立することになる。
中央線エリアを半年ほど探し、東小金井で5年契約の物件を見つけた。期間が決まっていることが気になったが、5年続かなければ他の場所でもできないと腹を括り、契約を決めた。前のオーナーの売り上げが1日7万円だったと聞き、まずは7万円を目標にした。13年、「くじら食堂」はこうしてオープンした。気取らずに家族で来られるような店にしたいと店名に「食堂」を入れ、「くじら」は当時3歳だった娘が決めてくれたという。
「くじら食堂」のラーメンは、下村さんの地元釧路の鰹節が効いたラーメンからインスパイアされ、2度目の試作でレシピが完成した。麺にもこだわり、小麦を独自に配合して存在感がある極太の麺を仕上げた。目指したのは、「七彩」のように何度食べても飽きないラーメンだ。
味が良くても、お客さんが来なければお店は運営できない。下村さんはオープン前の数日間、店の前に張り込み、人の流れを調査した。日中に比べて夜の人通りが多いことに気付き、営業時間を夕方6時から翌1時までに決めた。日中は捨て、夜一本で勝負したのだ。
この営業時間が功を奏した。近隣で夜遅くまでやっているラーメン店はチェーン店ばかりで、「くじら食堂」はすぐに繁盛店になり、口コミも広がった。単身者が多いという情報を得た後は、量があるメニューもそろえた。すると、ラーメンだけでなく油そばも美味しい店だとして話題になった。
飽きさせないために、時期に合わせて「限定ラーメン」をラインアップ。ラーメンファンのリピーターも獲得でき、売り上げも順調に推移した。目標だった1日7万円も優に超え、20万円を売り上げる人気店になった。