辰野は目指す方向を「モンベル7つのミッション」にまとめた。「モンベル憲法」である。

(1)自然環境保全意識の向上、(2)野外活動を通じて子供たちの生きる力を育む、(3)健康寿命の増進、(4)自然災害への対応力、(5)エコツーリズムを通じた地域経済活性、(6)一次産業(農林水産業)への支援、(7)高齢者・障害者のバリアフリー実現

 44年間モンベルを引っ張り、行き着いたのは社会的企業である。始めた時から「儲けるための会社」ではなかった。株式上場の誘いには「利益重視の株主に気を使うのはまっぴら」と断った。「創業者利益が入ります」と勧められても「おカネはいりません」。作家の椎名は辰野を「笛吹童子の感性をもつ独裁者」と表現する。子どもが一心不乱に笛を吹くような純真さを持ちながら、自分の考えを押し通すワンマンでもあると。モンベルは良くも悪くも「辰野の会社」だ。カリスマが一代で築いたが故に、一代で崩れる会社もある。

 辰野は30年後のモンベルを考える。「存在し続けるとしたら条件は二つ。一つは社会から必要とされていること。もう一つは事業として採算を取れるか」。社会が格闘する課題にビジネスのタネがあると辰野は気付いた。タネから芽を育て、開花させることができるか。7つのミッションは次の世代に受け継がれる。

(文中敬称略)

■辰野勇(たつの・いさむ)
1947年/大阪府堺市生まれ。兄4人、姉3人の末っ子。店の手伝いをしながら育つ。堺市立湊西小、同市立大浜中に入学。
63年/大阪府立和泉高校に入学。登山家ハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」に感動。「アイガー北壁に挑戦する」と山好きの数学教師に告げる。
66年/名古屋のスポーツ用品店に住み込みで働く。登山家の中谷三次と出会う。
67年/勤め先の店主に「岩登りは危険」と止められ、大阪の登山用品店「白馬堂」に転職、登山中心の生活に。
69年/中谷とアイガー北壁に日本人として2番目の登頂。
70年/新婚3日目、店の先輩と喧嘩、仕事を辞め失業。登山の先輩に誘われ、中堅商社・丸正産業(現・ソマール)に就職。繊維事業部に配属。
74/山の仲間の遭難が相次ぎ、カヌーを始める。
75年/丸正を辞め、モンベル創業。資本金200万円は母に借り、登記後すぐに返済。欧州遠征から帰国した真崎文明、増尾幸子が10月に合流。
77年/ドイツ最大のスポーツ用品店「スポーツ・シュースター」がモンベルの寝袋を扱う。
80年/スポーツ用品大手パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードと出会う。
85年/会員制のモンベルクラブ発足。
87年/パタゴニアとの提携を解消。黒部峡谷源流から河口までカヤックで下る。
91年/大阪駅のショッピング街GAREに直営店を開店。奈良三条通りに日本初のアウトレット店を開業。障害者カヌー教室を吉野川で始める。
92年/米国グランドキャニオンをカヤックで下る。日本人初。
95年/阪神・淡路大震災。アウトドア義援隊を組織。テント500張・寝袋2千個を配布。
2002年/アメリカ直営第1号店をコロラド州ボルダーに開店。
07年/会長に退き、社長を真崎文明に。
11年/東日本大震災に義援隊を派遣。
14年/農林水産業など第1次産業用の「フィールドウェア」を発売。
16年/三重県と包括連携協定。自治体と協力して地域おこしを始める。「モンベル7つのミッション」を社是に。
17年/真崎に代わり、長男・岳史を社長に。
18年/製硯師・青柳貴史と「野筆」を開発。

■山田厚史 
1948年、東京都生まれ。ジャーナリスト。朝日新聞社に入社し、ロンドン特派員、経済部編集委員などを歴任。アエラ記者を経て、フリーランスに。著書に『銀行員が消える日』など。

※AERA 2019年6月17日号

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