下半身が利かない吉田は、川に浮かんでいると自分が障害者であることを忘れた。教わるというより、面白いから技を覚え、次へと挑戦したくなる。生きる力はそうやって備わるものではないか。辰野から「本気で楽しむことの力」を教わったという。

「重い荷物を担いで歩く。登山は他人から言われてやるなら苦役です。好きだから、わくわくしながら前に進める。仕事も同じだと思う」(辰野)

 辰野は28歳の誕生日にモンベルを起業した。思いを共にする仲間が2人いた。ロッククライミングスクールの教え子だった真崎文明と山岳仲間の増尾幸子。3人とも登りたい山はまだまだあるのに、会社勤めでままならない。集まってはどんな商売がいいか語り合った。目を付けたのが登山用具だった。材質や使い勝手が極限での生死を分ける。欧州に名品が少なくないが、値段は高く、必ずしも日本人の体格に合っていなかった。必要なもの、ほしいものを自分たちで作ろう。眼には自信があった。社名はフランス語で「美しい山」に決めた。

 経験も資金もない若者が、情熱だけで始めた会社は、アウトドアの風に乗ったが、登山と同じで、頂上への道は険しかった。

 実績のない会社に登山用品の注文は来ない。開業1年目はスーパーマーケットの買い物袋を下請け生産して凌いだ。やがてスポーツウェアも手掛けるようになったが、発注が突然打ち切られる。安いところが見つかれば、注文主はためらうことなく他社に代える。「下請けでいる限り自分たちが作りたい商品は出来ない」と思い知った。苦しくてもモンベルで売る。しかし問屋・小売りを通さなければ消費者に届かない。登山家である自分たちは「いい製品」と思っても、何層もある流通担当者のメガネにかなわなければ扱ってもらえない。小売店の棚に並ぶのはごくわずかだった。

 朗報は海外から舞い込んだ。創業から3年目のクリスマスイブのことだった。ドイツ最大のスポーツ用品店スポーツ・シュースターから航空便が届いた。「寝袋100個、オーバーミトン、防寒衣料……」。注文書だった。この年の夏、辰野はドイツに出かけた。日本では理解されなくても、品質にこだわるドイツなら分かってもらえる。一縷の望みをかけ、アポなしの飛び込み営業に出た。スポーツ・シュースターはアイガーに登った時、用具を買いそろえた店である。

 ミュンヘンの本社を訪れると、仕入れ責任者が会ってくれた。「私は登山家でアイガー北壁を登った」。たどたどしいドイツ語で自己紹介すると相手の表情が和らいだ。ヒマラヤ登山家だった。寝袋を取り出し「デュポンが開発した新素材を中綿に使った画期的な製品です」と強調した。しっかり見てもらえた。それだけで嬉しかったが、3カ月後、予期せぬ発注が来た。寝袋は国内でも評判になり、モンベルの成長軌道が始まる。

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