●21歳の世界最年少でアイガー北壁登頂成功

 矢野経済研究所の調べでは、国内のアウトドア関連の市場規模は2017年で4398億円(前年比3・2%増)という。「遊び」はコンピューターゲームなど「閉じこもり系」に向かう一方で、野外で自然を体感するアウトドアは静かなブームとなっている。消費不況の中でも市場は右肩上がりで拡大している。モンベルグループの売り上げは18年度で約800億円(海外含む)だったが、10年前(約270億円)とくらべ3倍になった。

 辰野は1947年、大阪府堺市で8人きょうだいの末っ子として生まれた。父は屋台からすし屋を始めた苦労人だった。朝早くから仕込み、休みなく働き続ける背中を見て育った辰野は、いつかは自分もなにか商売をするのだろうと思っていた。

 小学校6年の時、残念なことがあった。卒業前に近くの金剛山に登る恒例の耐寒登山に参加できなかった。食が細く虚弱体質と見られ校医の許可が出なかった。幼心に小さなトゲが刺さった。中学になって、友達と近場の山を目指す。日本隊が56年にヒマラヤのマナスル登頂に成功し、登山ブームが起きていたころだ。高校には山好きの数学教師がいて、授業中に「世界で一番美しい場所はスイスのラウターブルンネンというところで」などと山の話を聞かせてくれた。そして国語の教科書でハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」に出合う。アイガー北壁には氷雪が巨大な蜘蛛の形で張り付き、雪崩や落石を繰り返す難所がある。白い蜘蛛と闘い頂上をきわめた感動的な登頂記だった。

「登山家になってアイガーに登る」と心に決め、休み時間にリュックを背負って階段を上った。ロープで校舎の壁を下り、校長室で叱られた。カネがかかると聞き、「アイガー貯金箱」を作り貯めた。

 大学進学は無駄に思えた。親には信州大学を受験すると言って西穂高を目指した。高校生の冬山登山は禁止されていたころ。雪をかき分け頂上を目指したが果たせず「山は逃げないから無理するな」と山小屋の主に諭された。雪焼けした顔で戻り「大学は落ちた」。まる分かりのウソに父は「そうか」とだけ。10代で単身旧満州に渡った父は「スポーツ用品店で働きたい」という息子を許した。

 住み込みでカネを貯め、休日は一人で岩登り。登山家の中谷三次と知り合いザイルを結び合う友となり、2人でアイガー北壁の登頂に成功する。21歳の辰野は当時、世界最年少での登頂を果たした。15歳で定めた人生の目標を6年でかなえた。次の目標は考えていなかった。

 大阪の登山用品店で働き、ロッククライミングスクールを開いた。山を中心とする暮らしが回り始めたが、些細なことで歯車が狂った。店で先輩と喧嘩し殴ってしまった。居づらくなり退職。新婚3日目の出来事だった。会社勤めの妻に頼る失業者は、ふんだんに時間があっても山に出かける気になれなかった。助け舟を出してくれたのは関西学院大学山岳部OBで店の常連客だった。勤めている中堅商社の繊維部門を紹介してくれた。生地や素材を仕入れてメーカーに売る仕事。新素材を探して製品を考案する中で米国のデュポン社の担当者を知った。人脈が、やがて生まれるモンベルの躍進につながる。

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