●大震災の経験から「浮くっしょん」を開発

 商社の仕事は忙しく、山と疎遠になる。クライミングスクールは閉校。漠然と考えていた自営を明確に意識する。30歳では遅すぎる、28歳の誕生日に起業しよう、と決意した。

 この頃、山の仲間が相次いで命を落とした。辰野の手元に使い古したコッフェルがある。奥穂高で雪崩に遭った亀井生吉の遺品である。行方不明の知らせに駆けつけた辰野は捜索隊長として降りしきる雪の中を5日間、名を呼び続け捜し回った。登攀の成否は技量だけで決まらない。急変する天候、雪崩、落石。牙をむく自然との闘いである。亀井は剱岳で滑落した辰野のザイルを渾身の力で握り確保してくれた恩人だった。亀井ほどの男でも山で命を落とす。

 阪神・淡路大震災が発生した95年1月17日の夜、辰野は長男・岳史と神戸の体育館で遺体を並べていた。夥しい被災遺体を前に言葉はなかった。遭難があれば何をおいても駆けつけるのが山男だ。モンベルは「2週間災害支援」を宣言。社員・会員・取引先に支援を呼びかけた。アウトドア義援隊が組織され、炊き出しや物資の配送を、社を挙げて展開した。店や倉庫にある寝袋、テント、燃料、食品を配った。衣食住を凝縮したアウトドア用品は被災地で重宝された。

 東日本大震災が起きた時は、辰野はハイブリッドカーで単身被災地に入った。阪神・淡路の教訓で、地の利がきく場所に配送拠点を確保することが大切と知った。業者と掛け合い、山形県天童市にある電子部品の工場と話をつけ、必要な物資の搬入を本社に指示した。

 津波の生還者から話を聞いた。とっさにライフジャケットをつけた夫婦は、濁流に流されながらも命拾いした。飛行機でもライフジャケットは標準装備だ。津波の恐れがある地域なら救命具を常備することが必要だ。そんな思いから商品化したのが「浮くっしょん」だ。通常は椅子のクッションとして使い、必要な時はライフジャケットになる。津波のハザードマップに載るような地域の学校に普及させたい。

 2度の震災を経てモンベルは「社会の一員としての企業」の色彩を濃くしていく。

●自然環境を守りたい、ホテル建設の反対運動へ

 ぐいぐい伸びるクレーンが、伐採した樹木をつり上げる。枝が切り落とされた古木の無残な姿がフェンス越しに見える。シカで有名な古都奈良の春日大社のすぐそばでリゾートホテルの建設が進んでいる。現場に「建設反対」の横断幕。近隣住民が掲げた。辰野は高畑町住民有志の会会長として反対運動の先頭に立っている。

「歴史的景観が守られてきた環境を目先のカネもうけのために失っていいのか。住民の声を無視して強行する県のやり方には納得できない」と。

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