店も、財産もすべて失った

 やがて捜査の手は大阪の本店にまで及んだ。2007年11月16日、不正競争防止法違反(品質虚偽表示)の疑いで料亭に警察の強制調査が入り、ここでも牛肉や鶏肉の産地偽装が行われていたことが明らかになった。

 事件を受け、2007年12月に船場吉兆は例の謝罪会見を開く。すると「ささやき女将」の強烈なインパクトに、世間の目は一気に母・佐知子氏に集中した。世間からの壮絶なバッシングと嘲笑。テレビや新聞だけでなく週刊誌までが動き出し、自宅に突撃されたり、待ち伏せを受けたりする日々が続いた。

 「事業が拡大し、一つひとつの現場に目が届かなくなっていたのが原因でした。なぜちゃんと監督していなかったのかと父は怒鳴り、家族内も感情的になっていきました」

 2008年、船場吉兆は佐知子氏を代表に残し、再生手続きに入った。しかし一度失った信頼と客足は戻らず、再生計画は頓挫し、破産手続きに移行する。父母も連帯保証人として自己破産し、兄と尚二さんは破産だけは免れるも、財産のほとんどを賠償にあてることになる。

 当時父は74歳、母は70歳、兄も40代半ばを過ぎ、人生の後半ですべてを失った。

金なし・職なし、6畳のワンルームアパート

 尚二さんもまた、社宅として借りていたマンションを追われた。しかし、引っ越し先を見つけることすらままならなかった。「船場吉兆の息子」では、大阪市内どこに行っても賃貸契約さえ結べないのだ。

 知り合いの助けを借りて、ようやく小さなアパートに落ち着いた。由緒正しき老舗料亭の三代目は、6畳のワンルームに住む、無職・独身のアラフォー男性となった。

 「事件発覚当初は、こんなに大事になると思わなかったので、早く仕事に戻りたい一心でした。しかし時間が経つにつれて、だんだんそれが不可能だとわかり始めたんですね。ならばどうやってこれからの人生を立て直そうかと考え始めました」

 約20年前、大学の卒業式で見送った友人たちと同じ、「無限の可能性を秘めた未来」が、皮肉にも40手前で手に入った。

 振り返ればその日まで、料理に関する仕事しかしてこなかった。吉兆以外で働いたこともない。逆に料理と料亭の経営方法だけは、誰にも負けない経験値がある。40歳を前に、別の道に進むことは考えられなかった。

 求人誌で見つけた飲食店のアルバイトに入ったこともある。しかしすぐに船場吉兆の息子だと顔を指され、マスコミにかぎつけられた。店に迷惑はかけられないと、短期で店を辞めた。

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