2004年に船場吉兆天神店を開店し、岩田屋本館「吉兆天神フードパーク」では、船場吉兆ブランドのお弁当・惣菜・洋菓子等を販売。店や商品が雑誌やテレビで取り上げられることも増え、尚二さんは福岡でテレビの料理コーナーを受け持った。
「あの頃はとにかく、なんとかこっち(福岡)を成功させようと必死でしたね。九州の拠点として、この店を繁盛店にしなければならない。来るもの拒まず、どんな仕事でも受けていました」
料亭として頂点を極めた「九州・沖縄サミット」
そして船場吉兆にとって、大きな出来事が訪れる。2000年に開催された九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)で、蔵相会合の晩餐会を任されたのだ。
「ちょうど七夕の次の日でしたので、七夕飾り風にアレンジした装飾を用意して、そこにお料理を盛り込みました。うに、フォアグラ、キャビアなど、欧米の方に喜んでいただける珍味で飾って、汁物はハマグリのお吸い物。父と私はご要人の方々の前で、天ぷらを揚げてお出ししました」
当時の大蔵大臣・宮澤喜一、アメリカ財務長官のローレンス・サマーズなどの政府要人に、国の威信をかけて豪華絢爛な料理を振る舞う。まさにこのとき、船場吉兆は絶頂期を迎えていた。
しかし、急激に膨らみすぎた船場吉兆は、既に湯木一族の手の内には収まらなくなっていた。意思を持った生き物のように、ミシミシと不気味な音を立てて肥大化していく。そしてある日とうとう、一本の亀裂が入った。当初はほんの小さな亀裂だと思っていた。多少目立つが、モルタルで上塗りすれば見えなくなる程度のものだと――。
食品偽装発覚、崩れ行く船場吉兆
2000年代前半は、大手企業の食品偽装が相次いで発覚した時代だった。2001年には牛肉偽装で雪印食品と日本ハムが廃業や社長辞任に追い込まれ、2007年にはミートホープの悪質な偽装が発覚し、社長が実刑判決を受けて会社は倒産。その他、白い恋人や赤福などで、次々と賞味期限の偽装が発覚した。
当時それらの事件を、尚二さんはどんな思いで見ていたのか。
「そのときは、完全に他人事でしたね。『あんな有名な企業が、なんであんなことをすんのやろ』と。それが、まさか自分たちの店にも起こっていたなんて……」
最初に発覚したのは、福岡の百貨店で販売していた洋菓子類の賞味期限改ざんだった。ある日尚二さんは大阪で、百貨店の売り場の従業員から「保健所が調査に来ているが、どうしたらいいか」との電話を受ける。
「そのときは、『もしミスがあったならちゃんと説明しなさい』と指示をしたんです」
当初、家族内に動揺はなかった。起きてしまったことは素直に謝罪し、改善策を考えればいいと。
しかし、そう簡単な問題ではなかった。
「ふたを開けてみたら賞味期限の改ざんが、何種類もの商品を対象に長期にわたって繰り返されていたことがわかったんです。そこで初めて、ことの重大性に気づきました」