
「このラーメンには麻薬が入っている?!」
まだインターネットもない時代で、テレビでラーメン特集が組まれることも少なかった。だが、「喜楽」は常連客の口コミだけで広がっていく。1970年代頃から新聞や雑誌などで特集され、人気が出るようになった。その魅力は、雑誌の編集者があまりのおいしさに、「このラーメンには麻薬が入っている?!」と表現するほどだった。
だが、時代の変化とともに「喜楽」を取り巻く環境も変わっていく。当時は近くに映画館が3軒あり、人通りも多かった。その映画館がボウリング場になり、やがてボウリング場も閉店。マンションが建ってから、一気に客足が減っていった。

「一時的にピンチにはなりましたが、飲食店は売れ残ったものを食べていれば死ぬことはありません。欲をかかずに、店だけを愚直にやっていれば何とかなるものです」(茂夫さん)
それからほどなくして、近くにアパレルブランド「SHIPS」の店舗がオープンした。若い人が街に増え、一気に街並みが変わっていった。
さらにこの頃からラーメンブームが到来。「喜楽」もテレビで取り上げられるようになった。ラーメンの名店が集う施設への出店オファーもあったが、人にラーメン作りを任せることを決心できず、見送ることにした。昔は「完全なレシピ」などはなく、経験値で覚えてもらうしかなかった。そのなかで「喜楽」の味が独り歩きしてしまうことを恐れたためだ。
「辛いものがブームになった時には、『辛いラーメンはないんですか?』と聞かれることもしばしばありました。でも、そういうものを作ると『喜楽』の味ではなくなってしまう。愚直に同じメニューを作り続けました」(茂夫さん)

夏場は汗をかきながら食べた
茂夫さんは、幼い頃からこの店しか見てこなかった。だからこそ、継ぐのが当たり前という感覚で、父から「喜楽」を継いだ。だが、昭和、平成、令和と時代が変わるなかで、「『喜楽』の味は昔も今も変わらない」と言ってもらえることの難しさを痛感している。
「昔と今では食材も違うし、生活も違います。エアコンのない時代には、夏場は汗をかきながら食べるからしょっぱいものを欲していたと思いますが、今は年中快適に食べられる。ラーメンの味は変えなくとも、食べる側のコンディションが変わっていくんですよね。人の持っているイメージは増大するものです。我々も日々甘んじず、家庭料理と同じように毎日のように口にすることで、『喜楽』の味が変わっていないかを確認しています」(茂夫さん)

「100年に一度の再開発」ともいわれる大規模な開発が進む渋谷。その街並みは日々移り変わるが、「喜楽」が渋谷の地にあることは、街にとっても大きな意味を持つ。いつまでも変わらぬ味を守っていってほしい。(ラーメンライター・井手隊長)
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