
野球界に偉大な功績を残し、国民的な人気を誇った長嶋茂雄さんが3日、亡くなった。各界の著名人が長嶋さんを偲ぶ。AERA 2025年6月16日号より。
【写真】引退後、即監督となったシーズンは最下位に沈んだものの、翌年はリーグ優勝を果たす
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打って守って魅せて──。人々に勇気も与え続けてきた。家の表札を書いてもらうなど親交のあったテレビプロデューサーのテリー伊藤さんは、大学1年のとき、学生運動で左目が見えなくなり、入院。人生にやる気をなくし、打ちひしがれていたときに見たのが、68年9月18日の阪神戦ダブルヘッダー第2試合(甲子園)。試合は荒れていた。「王さんが頭にデッドボールを受けて、そのまま病院送りになり、阪神ファンと巨人ファンが大乱闘するような状況。4番の長嶋さんはずっとそれを見ていたんです。その時、『ここで長嶋さんが打ってくれたら、僕も、もう一回人生を頑張れるな』と思ったらミスターは本当にホームランを打った。人生の恩人なんです」
むろん卓越した技術もあった。巨人で三遊間を組んだ黒江透修さんは「派手なプレーが注目されがちですけど、ものすごく堅実で、基礎技術が高かった。そのうえで見せ方がうまくてね。大スターというのはこういうことかと」と振り返る。
スーパースターであり続けるために、努力する姿をファンには見せないようにしていたとされる。10歳のときに長嶋さんの誕生会で演奏して以来、親交があったという盲目の世界的ピアニスト・辻井伸行さんは「『練習している姿は人に見せない』という話が互いにあった。とても印象的で今でも心に残っています」とコメントした。