演劇を無料で上演しつづける
アタパディには、料金を払って演劇を見に来る文化はない。1年に数回不定期で地域に向けて上演する演劇は、すべて無料だ。自分たちで企画制作をおこなうこともあれば、アーティストを呼んで上演することもある。
文化事業の助成金などを受けながら、劇場の維持管理費や設備費は、滞在制作に訪れるアーティストや劇団に貸し出したレンタル料で賄う。
「10ルピー(≒17円)でもお金をとることで地元の人が見に来なくなってしまうんだったら、お金は取りたくないと思っています。そもそも私たちは、日々の暮らしのなかで地元の人とのいろんなやり取りを通じて生活が成り立っています。苗や収穫物を分けてもらったり、家に蛇が出た時には捕獲を助けてもらったり、お金ではないものをたくさん受け取っているんです。それを私たちは演劇というかたちでお返ししたいと考えています」
このためサヒヤンデ劇場には、特権階級の人もそうでない人も、同じように観劇にやってくる。
インドの身分制度「カースト」は、1950年にそれに基づく差別が禁止されたものの、その影響は根強く、階級が違う者同士が空間を共にする機会は普通、ほとんどない。まして先住民族の人たちはカーストの中にすらカウントされない、いわば周縁の人だ。
身分や宗教を超えて多様な人々が共に観劇するサヒヤンデ劇場の光景は、とてもめずらしい。
「ここで演劇をやって良かったと思うのが、考えや階級が違う他者同士が一同に集まり、肩を並べて時間と場所を共有することを可能にする、ということです。その体験が、対話や発見を生み出すきかっけになり得ると感じています」
「誰に頼まれたわけでもなく、住みたくて住んでいる」
それでもサトコさんは「そんなきれいごとでいいのかな」と自問する。
「何か新しい流れを生み出すきっかけがあるといいな、ぐらいで、大層なことはしていないんです。誰かに頼まれたわけではなく、自分が住みたくて住んでいるわけだし、暮らしがあっての演劇なので、この場所で居心地のいい生活を送るっていうこともとても大事なんですよ」
毎朝起きると、サトコさんはまず2時間ほどヨガと瞑想をしてからオートミールとナッツの朝ご飯を食べる。午前中はできるだけ野良仕事をしたり掃除をしたりと体を動かし、午後は仕事のメールをしたり本を読んだり。敷地内でスパイスを栽培し、コロナ禍以降は、養蜂も始めた。
自分のペースで暮らせる幸せ
シャンカルさんはベジタリアンのため、食事は基本豆カレーだ。飽きることはないのだろうか。
「豆の種類もいろいろあるし、例えばマンゴーの季節にはマンゴーのカレーをつくったり、収穫したココナッツでココナッツベースにしたり。もともと魚が好きなので、たまに魚が食べたくなると、山を下って食堂から魚料理を買ってきて食べたりもします」
アタパディは年間を通して25~30度前後と暖かい場所だ。敷地内にはコーヒーの木が実をつけ、野生のいちじくやジャックフルーツがたわわに実っていた。日本に帰国するときに、蕎麦の乾麺やめんつゆを買ってきて、時々食べることもあるのだという。
「小さいころから自分のペースで理解したり考えたりしたい気持ちが強かったんです。この場所にいると、それが許される感じがありますよね」
もちろん、公演や演劇制作の仕事が入ると、生活は一変する。アーティストの宿泊を受け入れ、チームを調整したり、衣装を準備したりと大忙しだ。
シャンカルさんは演出家、サトコさんは制作者として仕事をして生活費を稼ぎながら、ゆくゆくはスパイスの栽培や養蜂が継続的な劇場運営につながれば、という構想もある。