
読み書きしない先住民族に受け入れられる
ある日ツリーハウスで昼寝をしていると、血みどろのネズミを絞めつけた巨大なパイソン(ニシキヘビ)が布団の上に落ちてきた。
「これは……」とさすがに言葉を失ったサトコさん。この頃には、ツリーハウスの「ツリー」が伸びて「ハウス」の部分が歪んでしまっていたという事情も重なり、工事中の劇場に住まいを移すことに決めた。
まだ壁はなかったものの屋根はあったので、ツリーハウスより幾分かマシだった。地元の人たちの助けを借りて小川の水を引き、道も整備した。
実際に暮らし始めてみると、先住民族が入植者に搾取され、飲料水を得ることすらできない現状を知った。そこでふたりは、先住民族の人々も飲料水が手に入るように動き出す。
「なんでもそうだと思うんですけど、演劇も含めて文化は人間の暮らしの一部でもあるから、政治的な事も無視することはできないんです」
「よそ者」だからこそできたこと
「いったいどうやって?」という問いの答えは、驚くほど簡単だ。
「言葉を持つっていうのはすごく力のあることなんですよ。言葉を読み書きしない先住民族の人たちは今の社会制度の中ではどうしても立場が弱い。私たちは言葉をつかって行政と交渉しただけなんです」
サトコさんによると、ケーララ州では無償で学校教育が保証されているが、先住民族の人たちは家庭で読み書きをする慣習がないため、学んでも定着しない人が多いという。
ふたりは“演劇をやりにきたよそ者”という、利害関係のないフラットな立場を利用して交渉に臨み、先住民族の飲料水を獲得した。
地元のどんな立場の人たちとも良い関係を築くことは、サトコさんらが劇場を運営していく上で最も大切にしているポイントだ。飲料水プロジェクトを経て、徐々に民族や立場を超えた人々から信頼されるようになっていった。
たくさんの人に助けられて完成した自宅兼劇場
ほとんど屋外のような状態で住み始め、少しずつ劇場をつくりながら10年。
デザインを形にするための建築エンジニアは、バイク事故で重症を負ったシャンカルさんを病院まで運んでくれた命の恩人だ。窓やドアをつくるのは、近所の人にも手伝ってもらった。
劇場の照明機材は、公演に行くたびに「使わなくなった中古の照明機材を譲ってほしい」とよびかけて集めた。その結果、ドイツやノルウェー、京都など、世界各地からさまざまな機材が集まっている。
8年ほど前、災害級の大雨が降り続き、建物スレスレの場所で土砂崩れが起こったこともある。「ゴゴゴゴ……」というものすごい音に「逃げるしかない」と観念して山を下り、3日間ほど降り続いた雨がやんでから戻ると、劇場の中は大量の泥であふれていた。この時も、知り合いや近所の人の手を借りて泥をかきだし、生活を持ち直したという。
「ご縁があってたくさんの人に助けられて実現したとしか言いようがないんです。この劇場が一つの作品だな、と思います」
サトコさんはしみじみと語る。