
死亡年齢の高齢化、葬式・墓の簡素化、家族関係の希薄化……、社会の変化とともに、死を取り巻く環境も大きく変化してきました。かつては自宅で亡くなる人が多く、そのまま自宅で葬式をするのが当たり前の時代がありました。
この30年間、死生学の研究をしてきたシニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさんが、現代社会の「死」の捉え方を浮き彫りにする新刊、朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観』(朝日新聞出版)を発刊しました。同書から「お葬式の変化」を抜粋してお届けします。
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1990年までは自宅でお葬式をした人の割合が半数近く
介護や看取りが外部化されたことや医療の高度先進化で大きな病気を患っても長生きできるようになったことにより、その後の葬送のあり方にも大きな変化がみえる。以下では、葬送がどのように変容してきたのかをみていきたい。
自宅で亡くなる人が多かった1980年代までは、そのまま自宅でお葬式をするのが当たり前で、地域のみんなが総出でお葬式を手伝う風習があった。私は高度経済成長期に開発された新興住宅地で生まれ育ったが、銀行を「寿退職」したという専業主婦が町内には必ずひとり二人はおり、故人の自宅前に張られたテントのなかで、香典を数える担当をしていた。ほかの女性陣は、故人の家の台所に上がり込んで、弔問客にお茶を出すなど、近所の女性陣がお葬式の裏方を担っていた。
子どもの頃、同じ通りの高齢者が亡くなって、テントや幕を張る準備をしていたり、お通夜をしたりしている時間帯に登下校するとき、元気よく挨拶していいのか、下を向いて通るべきなのか、戸惑った記憶がある。特に霊きゅう車が故人宅前にスタンバイし、自宅から遺体が出棺されるのを近所の人たちが待っている時は、子ども心にもその前を通ってはいけない気がしたし、私の母は、回覧板に書かれた出棺時間に合わせ、故人の自宅前で見送るためだけに喪服に着替えていたこともあった。