新作「携帯遺産」(小説トリッパー春季号)については、主人公を作家にすると決めた段階で、私のなすべきことは一つだった。主人公・舟暮按の作品を書くこと。無論、世に出せるレベルで完成させるわけではなく、大まかなスケッチ。それでも十数年分の作品目録を再現するというのは気の遠くなる作業だった。しかし自分はそうした下準備を経て初めて、やっと一作の中編を物すことができるタイプの作家なのだ、と諦め、毎日按の著作を再現する日々を送った。そのために結構な数の本を読み、唯一の慰めは、それら無数の本の影が一冊の本に綴じ込められる、というダンテ/フローベール/マラルメ的な幻想であった(「その奥底にわたしは見た、宇宙に散らばる数多のものが愛によって一巻の本に結ばれ入り込んでいくのを」『神曲』天国篇 第三三歌)。
このように、私の小説は今のところ、本についての本ばかりで、それは本の中の本(book in the book)に魅了され、読書の至福をそこに認める自分としては、ごく自然な帰結である。が、このままだと、芸術家や大学人や出版関係者ばかり出てくる小説を書くことで一生を過ごしてしまうのではないか、という危惧も当然ある。勿論、そういう生き方もありえるだろうが、いっそ一冊も本が出てこない小説を書いてみたい、そんな気もしている。そんなことを考えていた矢先、ふと横光利一の「春は馬車に乗って」を読んだ。そこにはただ一冊だけの本が登場するのだが、その「本の中の本」(The Book of the books)の存在感に私は激しく撃たれた。こういう小説、いつか書けたらいいなぁ、と夢想しつつ、今書き進めているのは作中人物の作品の解説文……道のりは、長く、曲がりくねっている。