例えば、『ゲーテはすべてを言った』には、大勢の学者が出てくるが、彼らの経歴や思想を表すのは、専らその著作群である。主人公・統一はかつて『ゲーテの夢――ジャムか? サラダか?』という人文書で一世を風靡し、その後もゲーテに関する著作を多数発表しているという設定だが、それらの内容説明を通し、彼の世界観・人物造形が開示されていく。私は今のところ、小説を書くにあたり、主要登場人物の本棚の中身を考えることから始めることにしていて、今作品では、統一と娘・徳歌の本棚はかなり綿密に詰めた。美食家のブリア゠サヴァランは「あなたが食べているものを教えて欲しい。あなたがどんな人か当ててみせよう」と書いているが、私に言わせれば「あなたの本棚を見せて欲しい。以下同文」なのだ。蔵書は人物像を雄弁に語る。著作は尚更だろう。
今作で最も力を入れたのは、統一の同僚である然教授の著作の設定だった。然は作中の時点では全六冊の単著を上梓したことになっているが、これを一冊ごと少なくとも目次までは考え、大体の全貌を把握してようやっと作中に『神話力』とか『やさしくはやさしいか?』とか、登場させることができた。ボルヘスは「数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ」と述べているが、「すでに存在すると見せかけ」るために、ある程度書いてみないことには流石に心許なかった、というか。その最たる例が、統一が作中で執筆するTV番組用のテクストで、これは本文を粗方書いている。
これに付随して、色々な出版社の名前も開発してみた。架空の出版社名、というのは多分それだけで一冊の本を編めるテーマで、私がそれを意識し出したのは安部公房の『壁』から。他にも森鴎外の『青年』、筒井康隆氏の『大いなる助走』なんかが思い出されるが、いずれにせよこれらは実在の出版社をパロディ的に書き込んでいるわけで、私の場合はむしろ、出版社の歴史などから作り込もうとして、明治期の文化人が付けそうな社名を色々四苦八苦して拵えた。しかし、結果的には実在する出版社のパロディとして受け取られているらしい。自分でも、確かにそう見えるかも、と後から思わないでもなかったが、発端は違った、ということを証言しておきたい(さもなければ、私は何とも都合いい記憶改竄能力を存分に発揮し、ええ、ええ、これはあれのパロディでして……なぞと言い出しかねないので)。